姫路のカリスマ美容師が選挙へ出馬! 美容の枠を超えた壮大な未来予想図とは? ―etto hair salon溝口達郎さん

 

最近はさまざまな肩書きを併せ持ち、マルチに活躍する美容師が増えています。今回取材させていただいた溝口達郎(みぞぐちたつろう)さんもその一人。美容師でありながら兵庫県姫路市の活性化活動を行い、市議会議員への立候補まで果たしました。

 

姫路に3店舗を構えるetto hair salon(えっとへあーさろん)の統括マネージャーを務め、“姫路のカリスマ”を名乗りながらアグレッシブに活動する溝口さんを突き動かすものは一体何なのか? その行動の原点に迫ります。

 


 

ヤンチャな学生時代に芽生えた、美容への興味と自信

 

 

美容師を志したのは高校生のころです。そのころの僕は、学校よりも友だちと遊ぶことに全力でした。毎日夕方から姫路駅前でヤンチャな遊び方をしていたのですが、唯一許せないことがありました。

 

周りの友だちがジャージやスウェットにボサボサの頭でナンパに行こうとするんです。

 

「そんな格好でナンパをしたら失礼だろ」と、友だちをトイレに連れて行って僕が服や髪をスタイリングしてあげていました。そうすると友だちの表情がパッと明るくなるんです。自分の容姿に自信を持ってくれる姿がとてもうれしくて、そのころから「自分はスタイリングの才能があるに違いない!」と確信した覚えがあります(笑)。

 

さらに、当時の僕は美容室に行くのが好きで、カットが8,000円~1万円もするような美容室を探しては足を運んでいました。美容室に行くときは美容師さんになめられないように、必ずバッチリ髪をセットしていましたね。なかでも神戸にあった美容室の店長さんの技術や接客がとても素敵で、幾度となく通っていました。その方に「溝口さんっていつも自分でセットしてるの?」と尋ねられたんです。僕が「そうです!」と答えたら「すごいね! 私より才能あるよ!」と言ってもらえて。今思えば接客の1つだと思うのですが、当時の僕はとてもうれしくて「よっしゃ! このカリスマ美容師にセンスがあるって言われたんだから、もう俺絶対カリスマ美容師になれる!」と思い、「美容師になって、このダサい姫路を俺がおしゃれな街に変えてやる!」と意気込んでいました。この出来事が美容師を志すきっかけになりました。

 

実は、“姫路のカリスマ”と名乗っているのは昔からなんです。きっかけは18歳のころに50人を超す姫路で一番のパラパラのギャルサーの代表を務めていたこと。1回のイベントで500人以上集客するイベントを主催していたこともあり、ちょっとした有名人でした。なんせそのころの僕、かっこよかったんですよ(笑)。当時から仲間やイベントにきてくれたお客さまに夢を与えることを大切にしていました。そのときに周りの仲間やお客さまから“姫路のカリスマ”と呼ばれていたんです。その流れから、「今度は美容師としても人に夢を与えられるカリスマになりたい!」という気持ちも加わり、まだアシスタントでシャンプーしかできないころからずっと名乗り続けています。それが今でも言い続けている理由です。

 

半年でクビ、サロンを転々と…。波乱万丈な20代前半を乗り越えて

 

 

美容学校を卒業し、初めに就職したのは姫路で一番人気だった「エスティバン」というサロンです。オーナーの市場朱実(いちばあけみ)さんは30代女性でありながら中国にも店舗展開するカリスマで、とても厳しい方でした。僕はサロンの上階にある寮に住まわせてもらい修行していたのですが、毎日遅刻するし、問題ばかり起こしていて本当にむちゃくちゃでした。当時の僕は本当に甘くて、案の定わずか半年でクビ…。そこからは、自分の居場所を探すために大阪や姫路の店を3年間転々としていました。

 

そのころの僕は技術も身に付けていないのにすごく偉そうでした。モチベーションも低く「美容師っておもしろくないのかも…」と思いながら何となくやっていた気がします。“カリスマ美容師になる”という目標があり、自分が未熟だとわかっていても、どうすればいいのかわからない状態だったんです。

 

「僕には教育者が必要だ」「もう一度修行しないと」と思っていたとき、サロンのオーナーの市場さんに連絡をしてみました。このことが自分を変えた出来事になりました。市場さんは、「一回戻ってきなさい」と言って迎えてくださったんです。その当時、市場さんは新たに「etto」を経営されていたので、そこで一から働かせてもらうことになりました。その後、半年でスタイリストになり、世界最高峰のパリコレにもヘアメイクで参加させていただき、売上も200万円を超えるようになるまで成長させてもらいました。

 

 

独立したのは28歳のとき。当時はミセス層のお客さまが多かったのですが、そこに僕が10〜20代の若い世代を取り込んだことで、次第に客層の比率が変わっていきました。うれしいことに僕のお客さまの勢いがどんどん増していったんです。「もっとこの店を僕の色でやらせてください」と頼んだことが独立のきっかけになりました。

 

新店舗「acta noid etto(アクタノイド エット)」が生まれて、元々あったetto香寺店と合わせettoグループは 3店舗体制になりました。僕は元々いた店を引き継ぎながら、フランチャイズという形で独立させていただきました。今年2月にフランチャイズオーナーを店長に引き継ぎ、現在ettoグループ3店舗の統括マネージャーをさせてもらっています。

 

僕はいつも、お客さまの髪だけでなく人生もデザインできたら…と思いながらサロンワークをしています。僕と関わることによって、お客さまがポジティブになるのを見るのが好きなんです。髪型がかわいくなると自分に自信が持てますよね。そうすると新しいことにチャレンジしようと前向きになる。だからお客さまがさまざまなことを経験するための、きっかけになりたいんです。そのため、接客中は基本的に髪の話はあまりしません。今1番興味があることや打ち込んでいることなどを質問し、そこからお互いの情報を交換して距離を縮めていきます。僕と出会ったお客さまに豊かな人生を歩んでほしい。実はその想いが、姫路の活性化活動にも繋がっているんです。

 

>姫路を変えたいという想いが募り、市議会議員にも立候補!

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