ii+U代表長谷川壮のコトダマ「指名売上100万円もいってないのにアシスタントを使っているってことでよろしいでしょうか?」ストイックなイケメン社長を育てた言葉たち
毒舌王の辛辣な一言「指名売上100万円もいってないのに
アシスタントを使っているってことでよろしいでしょうか?」
有名店でスタイリストデビューした初月、指名売上がわずか9万円しかありませんでした。そんな状態だったので、自分にはお客さまの掛け持ちなんて無理だと思っていたんですよ。なのに、ある忙しい日、新規のお客さまに対応できるのが僕だけになってしまったんです。一人でやれる自信がないから、アシスタントに手伝ってもらうことに。
すると、指名売上200万円売り上げる先輩が、「あれ、指名売上100万円もいってないのにアシスタントを使っているってことでよろしいでしょうか?」と煽ってきたんですよね。僕は基本なんでも受け流せるタイプなんですけれど、めちゃくちゃ腹が立ったし、悔しすぎて泣きそうでした。あれは生まれて初めてでしたね。「絶対に見返してやる」と決心しました。
そこからです。自分の強みを見つけるために、SNSを活用し始めたり、練習を重ねたり、売れている人の仕事の仕方を研究したり、他店舗に足を運んでアドバイスを聞きに行ったりしました。自分の予約がないときには、外に出てお客さまにヘッドスパを提案し、店に連れて帰るなど、とにかくがむしゃらに努力しました。
その結果、1年後には月の売上が100万円を突破し、トップスタイリストの仲間入り。2年後には200万円を達成。嫌味を言った先輩とも関係が変わり、今ではお互い別の店舗で代表を務めながら切磋琢磨する良きライバルになっています。煽りスキルは相変わらずですけれどね(笑)。
残された家族の誓い「まだ俺がいる。絶対に幸せにするから生きろ!」
僕は4人家族で、父と母、妹、そして僕の4人暮らしでした。「長谷川家は本当に仲が良くて楽しそう」とよく言われる家庭でしたが、僕が高校生のとき、妹が病気で亡くなりました。それ以降、家族の雰囲気が一変し、両親も深い悲しみに沈み、何も手につかない状態に。僕自身も心が重く、悲しみに耐えていたんですが、あるとき、母が妹のことばかり話しているのを聞いて思わず「まだ俺もいるんだぞ」と言ってしまったんです。でも、その言葉に母は気づきを得たようで、少しずつ立ち直ってくれました。
しかし、僕が27歳のとき、さらなる試練が訪れました。父が急死したんです。仲良しだった長谷川家は、僕と母の2人だけに。母は再び深く落ち込んで、精神的に不安定な状態に。僕はそんな母を支えるために、再び「まだ俺がいるだろ。絶対に幸せにしてやるから生きろ!」と言ったんです。そこまで言ったら、もうやるしかない。どんなに疲れて眠くても、「俺がしっかりしなくてどうする」と自分を奮い立たせています。