自分にとって辛い言葉も記録して忘れないように ―AFLOAT のプロデューサー間嶋崇裕を作り上げたコトダマ
AFLOAT NO.1プレイヤーからの「宮村と一緒に働きたいという望み、絶対に叶えて」
僕がAFLOATに入社したのは、尊敬している代表の宮村のもとで一緒に働きたいという強い希望があったからです。絶対に宮村のアシスタントになるという気持ちでいたのですが、当時、AFLOATグループの売上がNO.1だったトッププレイヤーの先輩に気に入ってもらえて、「自分のアシスタントにならないか」と誘ってもらったんです。大活躍している先輩にそんな風に言ってもらえるのは心の底から嬉しかったです。ただ、僕はどうしても宮村のアシスタントにつきたかったので、正直にそのことを言いました。すると、その先輩も「その気持はすごくよくわかる。自分も宮村さんが好きで今の会社で働いているから、その望みは絶対に叶えてほしい」と言ってもらえたんです。
僕は、その言葉で火がついたんですよね。AFLOATグループ全体のトッププレイヤーのアシスタントというチャンスを蹴ったからには本気で行動に移さなければいけない。それで異例の直訴をして入社2年目に宮村の専属アシスタントにつくことができました。
僕が宮村のアシスタントを務めていたのは4年間なのですが、最初の1年間はほとんど話すこともなかったんです。でも、それは当然なんですよね。会社のトップを務める宮村の仕事現場は超一流。そこで、入社2年目の新人ができる仕事は限られていますから。
それで専属アシスタント2年目の頃、宮村のセミナーに同行したときに、「セミナーの前座をやらせてください」と申し出たんです。僕がその前座でやったのが、全身を金色の衣装で身を包み、頭にAFLOATのロゴをつけた『AFLOATマン』というコスプレです(笑)。宮村のセミナーの前は僕がそれを絶対にやるという流れができあがったのですが、それを宮村も喜んで受け入れてくれたんですよね。
なぜそれを受け入れてもらえたのか、当時直接言われたわけではありませんが、「何もできないんじゃなくて、自分ができることが何なのかを考える」ことを僕がしたからなんだと思います。僕なりに、技術もないし仕事もできないんだったら、芸をするしかない!って考えたんですよね(笑)。宮村の仕事は、美容業界のトップの方が集まることも多いし、そうして場を盛り上げることで、徐々に宮村との距離も近づいていきました。
>立場が変わっても生き続けるコトダマ「“思う”だけじゃなくて行動しろ、結果だけがすべて」