自分にとって辛い言葉も記録して忘れないように ―AFLOAT のプロデューサー間嶋崇裕を作り上げたコトダマ
第一線で活躍する美容師の人生を変えた「恩師の言葉」を紹介する「美容師のコトダマ」。
今回は、AFLOATのプロデューサー間嶋崇裕(ましまたかひろ)さんが登場。幼少期はアイスホッケー選手、高校生にしてネイリストという異色かつ華々しい経歴を持ち、AFLOAT入社後は代表の宮村浩気氏の専属アシスタントを務めたのち、超スピードでプロデューサーに転身した間嶋さん。そんな間嶋さんのコトダマを紹介します。
進路に迷うも、美容の道に進むきっかけとなった恩師との“約束”の言葉
幼少期からアイスホッケーをしていて、中学1年生の頃に、全国大会の予選があったんです。優勝すれば全国大会に行けるという試合で、僕は自分のミスで失点してしまい、チームの全国大会への道が絶たれてしまったんです。そのとき、3年生のキャプテンが僕にかけてくれたのが「最後の失点はお前のせいじゃない。自分たちがフォローできなかっただけだから、気にせず、来年は全国大会に行ってほしい」という言葉でした。
キャプテンは中学最後の大会で絶対に悔しかったはずなのに、残念な結果に対して「お前のせいじゃない」と言えるなんてカッコいいし、失敗を誰かのせいにしないという大事なことを教わりました。それまでスポーツで泣いたことはありませんでしたが、思わずトイレで泣きましたね。
翌年からはそのキャプテンの言葉とおり、2年連続で全国大会出場を果たせたことは、僕の人生の誇りです。
学生時代の美容で関わることで言うと、僕は高校生のときネイルのスクールに通っていて、JNA1級の資格を取ったのですが、これは、当時ネイリストとしてアルバイトをしていたサロンの社長の言葉で火がついたからこそ取得したと言ってもいいものでした。それが「試験に一発合格したら、ニューヨークに連れて行ってあげる」という言葉。
そのときは、単純に「ニューヨークに行きたい!」と思って試験に挑み、合格を勝ち取りました。そして、約束どおり、高校3年生の時にニューヨークに短期留学したんですよ。当然、語学はままならないわけですが、同じ留学生の友達にネイルをしてあげたところ、言葉は通じないながらにすごく喜んでもらえたんですよ。時期的にも大学進学すべきが迷っていたのですが、「美容って、言葉の壁を超えて通じ合えるんだな」と身に染みて感じることができたので、僕は美容の道に進むことに決めたんです。
>AFLOAT NO.1プレイヤーからの「宮村と一緒に働きたいという望み、絶対に叶えて」