Voicyスペシャル対談 LECO代表 内田聡一郎×アートディレクター 大島慶一郎 (前編) 自己表現するのが照れ臭いので、作家ではなくアートディレクターを選んだ
「真っ直ぐな仕事よりも、ちょっと斜めな感じが多いかな」(大島)
内田:それぞれ得意分野があるんですね。大島さんはその中では何畑なんですか。
大島:うーんなんだろうね。メインストリームの仕事をすることもあるけれど、基本的にはちょっとそれを外して、変わったものをつくりたいなっていうときに指名されるというか。同じカレーでもインドカレーではなくパキスタンカレーがいいな、みたいな。
内田:ちょっと斜めな感じ?
大島:ちょっと斜めな場合が多いかな。
内田:単純な疑問ですが、現場ではアートディレクターがイニシアティブを持っているんですか? 例えば、撮影はカメラマンがモデルさんに指示したりするわけですけど。アートディレクターはさらに全体を俯瞰してディレクションするっていう感じなんですかね。
大島:こちらが考えたカンプ(ラフ画)を元にし、それに向かってみんなで取り組むっていう感じ。最初に方向性を確認してみんなでつくっていく流れですね。現場では自分もモデルさんに指示だしはします。自分の頭の中にあるイメージを伝えなくてはいけないのでね。
内田:アーティストのNGとかもあるし、事前に固めとくってことですね。
大島:歌手の場合はその場のノリや機転を生かすこともあるので、「じゃあやってみよっか」となることもあります。いろんな人の意見を大切にしているので。
内田:絵コンテはつくってゴールはブレないようにして…
大島:そうそう、そこからはブレないようにします。
内田:途中に微調整が入ったり、偶然の産物で撮れたものが「それいいじゃん」となる場合もあるということですね。
大島:割と自由というかフレキシブルというかね。
内田:僕の仕事の場合は、美容師がアートディレクターをやっているんですよ。美容業界誌は絵づくりも全部美容師がアイディアを出して、それに向かってカメラマンとか衣装スタイリストがこういう構図ならこういうやり方がいいんじゃないですか、とかそういう感じです。
大島:現場でそれぞれが求められていることをやるという感じですね。
内田:ここからちょっと大島慶一郎の歴史に迫りたいんですけれど、いいですか? アートディレクションは大学で学んだんですか。
大島:いや、僕が通っていた大学はそういう授業もなかったし。自分で物を作ることが中心でしたけど、物を作ったり、絵を描くことはモノを見る目に関わってくるので。
内田:じゃあ、プレイヤーとして何かつくった経験はあるんだ。
大島:ほぼ物を作ることしかしていなかったなと思います。
内田:大島さんは芸大で何をしていたの?
大島:デザイン科に入りまして、最初の頃はデザインと言うより、アート作品のような作品作りに主に取り組んでいました。
内田:じゃあデザインを嗜んでいるという感じですね。
大島:嗜んでいるというか、相当描きましたよ。今もそういう仕事もありますもん。
内田:イラストを描くこともあるんだ。
大島:自分の場合は稀にそういうオーダーもあります。カップヌードルのCM用に日本画っぽいものを描いたり。今となっては自分でも描けることが武器になっていますね。みんなコンピューターで描いているから、手で描ける人が少なくなってきていることもあって。
「照れくさいので作家みたいに自分を全部出しきれない」(大島)
内田:最初はアートディレクターになろうと思ってなかったってことですか?
大島:全くなかったですよ。なんとなく何かつくりたいくらいの感じで。
内田:その後にディレクターに興味を持ってそういう環境に移ったってことですか。
大島:基本的に照れ屋なんですよ。作家は自分の作品としてつくるじゃないですか。それが照れくさいから完全に出しきれないなぁと思ってたんです。クラブなどのイベントのフライヤーをつくっていたら、「こっちのほうが客観的で、楽しいなぁ」と思うようになって。それでそういう仕事を調べるようになってという感じですね。
内田:商業的に何かをつくる、ディレクションするっていうほうがおもしろいかも、と。
大島:最初は希望の職場に就職できなかったのでデザイン事務所でバイトをしたりして。行きたいところの募集があったら試験を受けて採用、みたいな。
内田:どんな試験があるんですか。
大島:書類と作品と…
内田:作品。
大島:そう。自分のポートフォリオとか。
内田:作品撮りしていたんですか。
大島:自分でつくったグラフィックです。試験でラフスケッチを描いたり、また最後面接があって合格っていう感じで。
内田:晴れて入りたい事務所に入れたわけですね。
大島:サンアドという広告会社に入り、その後、宇宙カントリーというプロダクションに移籍しました。野田凪さんというディレクターとサンアド時代から一緒に働いていて。野田さんが辞めるときに「一緒にやりません?」と声をかけていただいたんです。
>「大島さんたちの仕事、ザ・クリエイションって感じで憧れていました」(内田)