Voicyスペシャル対談 LECO代表 内田聡一郎×フォトグラファー 松山優介 (前編) 巨匠との初セッションが美容コンテスト界NO.1フォトグラファーを生み出した
「ゴーグルをつけた作品を見て、内田さんの遊び心はすげぇと思いました」(松山)
内田:ちょっと話題を変えて、僕自身のことを聞いてみたいんだけどいいかな。さっき、松山印がどう生まれたのか聞いたけど、反対に内田印みたいなものを感じることはある?
松山:感じますよ。
内田:それは本音で?
松山:本音で。僕が内田さんと出会ったのはフォトグラファーになって5年とか6年目くらいだったと思うんです。HAIRCATALOG.JPの打ち合わせが最初かな。
内田:あのときね。
松山:僕は雑誌を見ないようにしているんですよ。見ると影響を受けてしまうから。だけど、たまたま開いた雑誌に内田さんの作品が出ていて、めっちゃよかったんですよね。ハイトーンのカラーで、白いスカーンとしたイメージで、「この人と撮りたいな」って思ったんです。
内田:ゴーグルつけたあれね。
松山:そうです。遊び心がすげえと思ったんですよ。聞いたら同年代だっていうし、セッションしてみたいなと。
内田:わー、めっちゃうれしい。今だからいうと、SONYのCMをモチーフにしてつくっているんですよ。SONYが好きで、パンフレットとかCMとかめっちゃ見るんですよ。あの当時はヘッドマウントギアを出していて、その影響を受け作った作品です。もちろんブラッシュアップはしているんだけど。
松山:なるほど、言われてみればって感じですね。
内田:でもあれでJHAに入りましたから。
松山:あれは入りますよ。今も僕の記憶に残っていますしね。あの作品は衝撃的でした。
「あえて“見ない”ようにして、どうやって“らしさ”を出すの?」(内田)
内田:俺ね、自分印ってゼロイチじゃないんですよ。めちゃくちゃ情報収集して、断片的な組み合わせで自分を出すっていう手法なんですね。松山さんはさっき言ってたように、見ないようにしてるじゃないですか。どうやって自分らしさを出しているんですか。
松山:僕は今の写真は見ないんですけど、昔の写真は見るんですよ。
内田:70年代とか60年代とか?
松山:超大御所の写真ですね。リチャード・アヴェドンとか、サラ・ムーンだったり。
内田:その当時の巨匠と言われる人たちだね。
松山:普遍的にいいものが、本当に好きなんですよ。僕が目指す写真って、5年後、10年後にもカッコいい写真。パンチ力だけあって、数年後に見たらダサって思うような写真よりも、そのときにピンと来なくても、5年後、10年後に見て「カッコいいな、これ」って思えるものを撮りたいんですよね。
内田:昔の写真集からインスパイアされることもあるの?
松山:あります。
内田:美容師にもそれと似たところがあって、いわゆる巨匠たちの作品を見て、そのままパクる人と、そこから消化して+1できる人の違いって結構あるよね。でも、松山さんの作品って誰かに似ていると感じたことがなくて。
松山:自分が撮った写真が誰かっぽいって言われるのが嫌なんですよ。誰かが撮った作品が「松山っぽいね」って言われるのは好きなんですけど(笑)。
内田:新しいものをつくり続けること、自分の印をつけ続けていくこと、もしくは評価されたものを超えていくこと…これまでの自分を超えるの大変じゃないですか。「この撮影飽きたな」、「この手法飽きたな」ってときに手数がなくなって来るじゃないですか。
松山:引き出しを開け続けているわけですからね。
内田:そうなったとき、どうしてます?
松山:最近、ちょっと置きにいっていることに気づいたんですよね。で、初心にかえるっていうか、1回自分がいいなと思う手法をやめてみることにしたんです。好きだったライティングをやめたんですよ。
内田:キノフロ(ライティング機材)ですか?
松山:そうです。封印して。
内田:おお、キノフロ封印!
松山:心配だから持ち歩いてはいるんですけれど。使わないようにしていて。このご時世だし、太陽を使おうと思って。自然光をメインにして、スタジオでも光が入るところがあればそこを使うっていう。
内田:じゃあ、現場にきて撮影スポットを決めてやるんだ。そのライブ感というか、想定できないことを逆に楽しんじゃうというか…即興ってことだ。
>「セルフオマージュを出したとき『自分に負けた』と思ったんだよね」(内田)