Voicyスペシャル対談 LECO代表 内田聡一郎×フォトグラファー 松山優介 (後編) 美容師を諦めたから、美容師に支持されるフォトグラファーになれた
渋谷のヘアサロン「LECO」の代表、内田総一郎さんは音声メディアVoicy(ボイシー)で「soucutsの美容師ラジオ」という番組を運営しています。今回のゲストはコンテスターなら知らない人はいない、JHAグランプリ作品を連続して担当しているフォトグラファー、松山優介さんです。内田さんと松山さんは作品撮影はもちろん、堀江昌樹さん(JENO) HITOMIさん(bianca)と共に「THE3DESIGN」というフォトセッションイベントも開催しています。気心の知れた二人の熱い対談を前編・後編に分けてお届けします。今回は後編です。前回のお話の続きなので、ぜひぜひ前編とあわせて読んでください!
「人とのセッションは木工職人のじいちゃんから学んだんです」(松山)
内田:人をドキッとさせる写真を撮るカメラマンさんって、ともするとインテリっぽい、気難しいイメージがあるんですよ。松山さんのその気のいい下町のお兄ちゃんみたいなキャラクターはどんなふうにして育まれたの?
松山:よく言われます。自分の身の上話で恐縮ですが、僕の実家が職人の関係なんです。木の器を作っているんですが、もうそれを1200年くらいやっていて。
内田:すごいねそれ。その界隈ではかなり有名な職人さんなのかな。
松山:そうですね。国の伝統工芸にもなっています。母方の一族がやっているんですけれど、ずっと木をろくろで回して、カンナで削って物をつくる職人なんですよね。だから僕も写真に関しては、職人気質があると思うんですよ。
おじいちゃんとかおじさんも、すごく集中してつくっていたんですが、職人と言っても商売だから、自分たちがつくったものを売らなきゃいけないんです。僕はおじいちゃん子だったんですけど、接客もしていて。それを見ていたから、人とのセッションというか絡み方はおじいちゃんとお客さんのやりとりを見ていたことが大きいですね。
内田:カメラはどういうきっかけで始めたんですか。
松山:僕が中学校の頃だったかな。おじいちゃんがPENTAXのカメラをくれたんですよ。おじいちゃんがカンナで木を削っている写真撮ったらカッコよくて。それでカメラを覚えたんですよ。
内田:まだフィルムの時代でしょ? それがフォトグラファー松山優介の一歩目だったんだ。
松山:あとこれ内田さんに言ったことがあったかもしれないけど、美容師になりたかったんですよ。
内田:え、初めて聞いた!
松山:高校生のころ、美容師ブームだったんですよね。ただ、田舎だし、長男だし、いろんな理由で美容専門学校に行けなかったんです。一応、親に大学に通わせてもらっていたんですが、名古屋の美容室でバイトしていたんですよ。
内田:知らなかった! 免許は持っていない?
松山:持っていないです。インターン制を使って美容師になろうと思っていたんですが、インターン制がなくなってしまったんですよ。結局、美容専門学校に通わないといけないんだけど、行くお金がないから、そのままアルバイトはしていたんですけれど。そのとき趣味で写真はやっていたんです。
名古屋でも月曜日火曜日はカメラマンさんが撮影にきていたんですよね。で、カメラマンさんに「ちょっと優介、フィルム巻けるなら手伝ってよ。ロケアシしたらお金やるから」って言ってもらったんです。そのときはまだ美容師になりたかったから、そのお金で専門学校に行こうと思っていたんですよ。結局、カメラが楽しくなっちゃって写真のほうがいいなって。その後、全然素人だったんですけど、写真を持ち込んで、採用してもらって。名古屋のスタジオで働くことになったんです。
内田:すごいなぁ。行動力があるよね。
>「美容室でバイトしていなかったら今の松山優介はいないってことか」(内田)