【カラー講師・田中元】パチンコ店から美容師へ。アシスタント歴7年。サロンオーナー&講師として大躍進した20年の足跡
デビュー2年目で経営者に。カラーの強みを打ち出して経営難を打破
オーナーからお店を引き継いで内装を少しだけ変えましたが、当時はデビューして2年目でお金もなかったので、以前のサロンの名残りがある状態で営業をスタートしました。自分のやり方なら経営がうまくいくはず、という若さゆえの勢いというか、調子に乗っていたんだと思います。現実はそんなに甘くなくて、最初の頃はすごく苦労しました。それまでオーナーは低価格を全面的に打ち出していたんですけど、僕は価値を提供するという意味で少し単価を上げて、縮毛もパーマもカラーもエクステもするというオールラウンダーのお店を目指しました。しかし、お客さまはどんどん離れていきました。
売上が下がって赤字を一回くらったときに、「これはまずいな」と。もちろん売上がプラスの月もあったんですけど、これは本気で対策を立てないといけないと思い、そこから経営改革に本腰を入れました。雇い入れたスタッフたちを切る選択は、絶対にしたくなかった。なので、何がいけないのかを突き詰めるためにお店を客観視して、それで気づいたのが駅前のお店と同じことをやっているということでした。駅からも遠いし、内装も決して綺麗とはいえないのだから、お客さまから選ばれるわけがなかったんです。
そこで、うちしか提供できないことは何だろう?と考えました。通ってくれているお客さまの一番の理由は“カラー”だと再認識できたときに、すぐにパーマや縮毛、エクステなどを集客サイトから全撤廃しました。ヘアカラー、カット、トリートメントに絞って広告を出し始めたんですよ。当時、「カラー専門店」として広告を出しているお店は東京にはあったんですけど、この付近にはなくて。あとはマツエクのスタッフとして同じ店で働いてくれている妻からのアドバイスで、インスタに本気で取り組み始めました。その頃はヘアアレンジが流行っていたので、僕も中途半端にアレンジを投稿していたんですけど、カラーのインスタをあげている人はほとんどいなかったんです。それで一度全ての投稿を消して、ヘアカラーの写真のみでリスタートしました。
>インスタの発信を集客から美容師向けにシフト。講師活動もスタート