【カラー講師・田中元】パチンコ店から美容師へ。アシスタント歴7年。サロンオーナー&講師として大躍進した20年の足跡

 

JR大船駅から、徒歩約20分。決して駅近とは言えない立地にも関わらず、田中元(たなかげん)さんが代表を務めるサロン『Vif(ヴィフ)』には、新幹線を乗り継いで顧客が訪れるそうです。オーナーになって、今年8年目。一時期は経営難に苦戦したものの、カラー特化型サロンに変貌させたことでV字回復を果たしました。21歳のときにフリーターから美容師を目指し、30歳でデビュー、32歳でオーナーという異色の経歴をもつ田中さんが、カラーの旗手になるまでのストーリーをお届けします!

 


 

ギャル全盛期。サロンはいつも満席で朝から深夜まで働く猛烈な日々

 

美容師になる前は、とくに将来の目標もなくフリーターをしていました。原宿に買い物に行ったりするのが好きで、かたい仕事に就くことは考えられず21歳までパチンコ屋でアルバイトをしていたんです。でも、そこで出会った同僚がある日、「美容室で働くので、辞めます」と。そのあとで「人が足りないからどう?」と誘ってくれて、通信制の学校に行きながら美容室で働けることを教えてくれたんですね。なんとなく楽しそうだなと思ったので、僕もそこで社員として働くことにしました。そこから3年間、勤めながら通信で学んだので、美容師としてはかなり遅いスタートだったんですよ。

 

 

あとで分かったんですけど、その美容室はいわゆる“ギャル系サロン”でした。当時はギャル全盛期ですし、全メニューを21時まで受け付けるというお店だったので(笑)、常に予約はいっぱい。入社して半年後には僕もモデルさんを呼んで、メッシュとかホワイトブリーチとかエクステとか、ブリーチが必要な施術をたくさんさせてもらいました。深夜12時をまわってもふつうに働いていましたし、毎日過酷でしたけど楽しかったんです。ただ僕はカット練習が好きではなかったので、デビューまで7年もかかってしまい、スタイリストになったのは30歳のときでした。

 

すごく遅いデビューでしたけど、免許を取得した24歳からはカラーで指名を取っていたので、売上は着実に伸ばしていました。子供の頃に水彩画を習っていたおかげで、どんな色を合わせたら思い描く色になるのかが、なんとなく感覚で分かっていたんですよね。それを髪の毛に応用していたので、カラー技術に関してはオーナーも評価してくれてお客さまをたくさん振ってくれました。27歳のときには、デビュー前なのに店長にもなりました(笑)。お店のことを誰よりも考えているから、とオーナーが任せてくれたんです。

 

 

ギャルブームが去っていくと、客数も減っていき、次第にスタッフも辞めていって最終的にはお店を閉めることになりました。そのタイミングで、僕が違う会社としてやらせてもらえないですか?と提案し、譲渡していただいて今に至ります。それが、まさにこの場所なんですよ。

 

>デビュー2年目で経営者に。カラーの強みを打ち出して経営難を打破

 

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