歴史あるインカ帝国の中心地ペルーでヘアカット1000人達成! -旅人美容師、桑原淳の世界一周の旅コラムvol.16ペルー編-
「世界一周をしながら、1,000人カットする! 」
そんな夢を抱きながら旅する美容師、桑原淳(くわばらじゅん)さんの人気連載! 毎月ひとつの国を取り上げ、美容師目線で見たその国の文化や情勢、住む人の特徴や髪質、実際にカットしてみたエピソードなどを紹介します。
こんにちは。旅人美容師の桑原淳です。
僕は2015年12月まで、“さまざまな国を周って1,000人カットする”という夢を掲げ、世界を旅していました。好きな美容師をしながら、「ハサミ」一本でいろんな人に出会い、経験をしたことを、僕なりの解釈で紹介させていただきます。
今回は、“南米ペルー”を紹介します。
ペルー共和国(通称ペルー)は南アメリカ西部に位置しているとても歴史のある国です。
紀元前から16世紀スペインに征服されて植民地になるまで、この地では多くの古代文明が栄えました。
僕がペルーを最初に訪れたのは2014年の3月のことでした。
ウユニ塩湖で有名なお隣ボリビアから夜行バスで国境を越え、世界遺産の街クスコに到着したのはまだ真っ暗な朝6時でした。
ちょうど夏の終わりごろだというのにとても寒かったのを覚えています。
アンデス山脈の中の標高3,400mにあるこの街は、かつて世界最大だったインカ帝国の首都として栄えました。
現在では首都はリマに移り、クスコは観光都市として、そして天空の遺跡マチュピチュの玄関口として世界中から旅人が集まる街になりました。
余談ですがクスコと京都市とは姉妹都市になっています。
僕がクスコを訪れた理由はただひとつ、世界遺産“マチュピチュ”に行くためでした。
“マチュピチュ”この名前を知らない人は少ないと思います。
南米ペルー、ウルバンバ渓谷の山間にそれはあります。
「老いた峰」を意味するこの遺跡は、スペイン人の侵略から逃れるためにインカ帝国の人々が作った秘密都市だったともいわれていますが、マチュピチュにまつわる多くは、未だに解明されていないそうです。
マチュピチュへの行き方は何通りかあるのですが、どうやら公共交通機関をつかうとベラボーに高いため、途中までバスで行きそこからひたすら線路沿いを歩くというのが一般的(貧乏人には)らしく、僕はその方法を選択しました。
早速クスコの旅行代理店でマチュピチュ行きの入場チケットを購入し、まずはマチュピチュ遺跡入り口の村アグアカリエンテスから10km手前の山の中までバスで向かいます。
5時間ほど走ると「水力発電所」という場所に到着しました。
そこは本当に何もない山の中。
そこから3時間ほど川沿いの線路の上を歩き、マチュピチュの麓の村を目指すのです。
自然がたくさんあり、ハイキング気分で楽しむ…なんて生易しいものではなく、歩きづらい線路をひたすら歩き続けるのは正直しんどいものがありました。
なぜなら僕は格好つけて革靴で旅をしていたからです。(笑)
やっとの思いで到着したアグアカリエンテスに一泊し、翌朝さらに山頂のマチュピチュ遺跡を目指します。
村から遺跡までのバス代もかなり高く、山頂まで自力で登ることもできるのですが、昨夜さんざん歩いて足が痛いため迷わずチケットを買いました(笑)
ゲートであらかじめ予約したチケットとパスポートを見せ、中に入るとすぐにマチュピチュ遺跡が見えてきます。
写真で見るよりもずっと広いことに気が付きました。
少し歩き回ったあと、ぼーっと眺めていて、なんだかマチュピチュが天空の遺跡だとか謎の遺跡だとか言われる由縁がわかった気がしました。
下から見るとこの遺跡がある山はそこら中にたくさんある山のうちのただの一つにしか過ぎません。つまり麓からは全く遺跡を見ることができないのです。
そのため、 16世紀にインカ帝国の人々が消えてしまってから400年以上も誰にも発見されることなく静かに眠っていたのです。
その空白のときもさることながら、最大の疑問は「一体なぜこんなところに?」というものです。
人里離れた山奥の、さらに下から確認もできない場所にどうして作ったのでしょうか?
マチュピチュ遺跡は高度な文明で栄えたインカ帝国最大の謎だと僕は思っています。
遺跡から少し離れた全景が見渡せる場所に腰掛け、僕はあるドイツ人男性と話をしていました。
「僕は髪を切りながら世界を旅しているんだ」
その言葉に興味を持った彼に「じゃあ切ってくれよ」と言われ、そのままそこで髪を切ることに。
マチュピチュ遺跡が目の前に広がる丘の上で、まさか髪を切ることになるとは、日本を出発するころには思いもしませんでした。