LECO代表 内田聡一郎×ファッションスタイリスト相澤樹×ヘアメーキャップアーティスト奥平正芳 超売れっ子クリエイターの2人への質問! 下積み時代は何してた? Voicyスペシャル鼎談(ていだん)
「自分から営業しに行ったことないんですよ、私」(相澤)
内田 どうやって見つけてもらったの?
相澤 作品撮りを誰かとしているときに見てくれた人がいたんだと思う。それを見た人たちから声が掛かったのかな?
内田 作品撮りの仲間はどうやって見つけたの?
相澤 カメラとかいろんな仕事のアシスタントをしている人たちと顔見知りだったしね。あとは名刺と作品集のブックがないと営業をかけられないので、ポートフォリオみたいなブックをつくった。当時はそれ持って営業するのが当たり前だったんだけどね。でも営業に行ったことはないんですよ、私。
内田 そうなんだ。
相澤 恵まれていたと思う。
内田 キャラクターも立っているから、覚えられやすいし。
相澤 そうかも。とにかくゼロからやってるから、師匠がやっていたのと全く違う仕事をしていますね。
内田 最初は美容雑誌から始まった?
相澤 そう。そこからファッション誌の仕事もして。
内田 クチコミで広がっていったんだ。そこから10年以上やって、自分の自信につながった仕事をあげるとしたらどんなのありますか?
相澤 うーん、私そういうのはあんまりなくて。
奥平 ミキティの名前を知ったのは、「装苑」だけどね。
内田 新人がピックアップされるやつね。
相澤 あれで初めてでいきなり表紙だったんだ。
内田 そうなんだ!
相澤 普通は新人が表紙をやることないもんね。
内田 初めての出来事だったんだね。実力で勝ち取ったんだ。
相澤 実力っていうか運?
内田 でも最初から表紙やるって話じゃなくて選ばれたわけでしょ。実力だよね。
相澤 うーん、ラッキーだったと思うよ。
内田 それがいつくらいの話?
相澤 独立して2年目くらいかな。
内田 俺もそのくらいからミキティの名前を知ったかも。みんなめちゃくちゃ見てたよ「装苑」。
相澤 見てたよね。それがきっかけかな。ちなみに私が元々スタイリストになろうとしたきっかけは音楽が好きだからなんだよ。ミュージシャンのスタイリングをしたいってところから始まってるから。
高校生の頃からバンドの衣装をつくったりしてたの。友達とファッションブランドを立ち上げたりだとか。そういうのもあって地方のバンドさんから声がかかることもあったりして。
何かやると誰かが見てくれていた感覚はあったね。色々なところから探して連絡してくれたりして。
内田 そうだったんだ。ちなみに二人に聞いてみたいんだけど、最初からギャラもらって食えた感じ?
相澤 やっぱ最初はバイトしながらじゃない?
内田 いい仕事なんだけどお金も少なかったりするじゃない。企業案件とかくるのは経験積んだ後でしょ。クリエイション系で頑張って、その名前が企業まで届いてみたいな。
相澤 アドバタイズ系はそうだね。
奥平 でもミキティは今の仕事一本でやってたでしょ?
相澤 そうだね。バイトやろうと思ったんだけど忙しくて入れなくなっちゃって。
内田 順風満帆な感じだね。
相澤 そんなことはない! いやでも若くて無知なところもあったから鍛えられたよね。
>「師匠とクラブに行って、家に送り届けるまでが仕事だった」(相澤)