長崎英広さん。ヘアライター佐藤友美がみた”美容師列伝” 第20回「伝える人」
「ヘアライター佐藤友美がみた 美容師列伝」。日本全国の美容師を取材してきたヘアライターの目線から、毎回「●●な人」を紹介し、その素顔に迫る新企画です。第20回めはCANAANの長崎英広さん、「伝える人」です。
極めるときの、その深度
ライターになってすぐのころ、長崎さんの講演の追っかけをしていました。ジャニーズも宝塚も通ってきていない私は、だれかの追っかけするとか、人生初。
講演やセミナーの内容はヘアカラーについてのものだったけれど、技術者ではない私にとってもわかりやすかったし、最高のエンターテインメントだった。長崎さんを追っかけているうちに、なんとなくカラーリングにも詳しくなっていったのでした。
長崎さんは、MINXにいらしたころ、下北沢の地下にあった店舗でスタイリストデビューされたそうです。
当時の下北沢店は、2階の店舗と地下1階の店舗があって、(集客サイトなどないその時代は)そもそも新規のお客さまの数が、2倍以上違ったのだとか。なかなか新規のお客さまがこない地下のお店で勤務していた長崎さんは、自分の売りを作らなきゃいけないと強く感じたといいます。
そのときに、長崎さんが武器にしたのがカラーリング。ちょうどギャルブームがきて、アムラーが街を席巻し、シルバーグレーのメッシュが流行った時代。当時のカラー剤でその色を出すのはとても難しく、女子高生たちのオーダーにこたえられる美容師さんは、ほとんどいなかったといいます。
その「勝負」に勝ったのが、長崎さん。ブリーチした毛束を何十本もカラーリングして研究し、狙った通りの色が出せるようになると、女子高生たちの間に口コミが広がって、クラスの半分が通うといった学校が続々増えていったのだとか。
当時、ギャル誌のヘアページを担当していた私も、長崎さんに「シベリアンハスキーみたいな色の髪にしたい」とオーダーして、憧れの銀髪にしてもらっていました。
私が長崎さんに対して感じる印象は、とにかく「ストイックな人」というイメージ。先ほどの女子高生のカラーリングの話ではないけれど、夜のMINXに打ち合わせにいったら、一人、もくもくと毛束を染める長崎さんが、サロンの奥にいたことをよく覚えています。
メーカーさんとの打ち合わせでも、(私にはその内容はわからなかったけれど)薬剤の細かい特性について研究職の方もたじたじになるような質問を重ねられていて、
そうだな、いってみれば、理系の研究室で顕微鏡をのぞいている博士、みたいな印象がある方です。
ひとつの技術を極めるときの、その深度が深い。
その側面だけを見ていると、長崎さんって、プロフェッショナルな技術者というイメージなんだけれど
その側面以上に、長崎さんのすごいところは、その限界まで極めて絞り込んだ技術を、再び開いて誰にでもわかる言葉に翻訳してくれることだな、と感じます。
毛束と会話してわかったその、もう普通の人には何語なんだかわからないくらいの複雑な言語を、誰にでもわかる言葉に変換して伝えてくれるのが、長崎さんだなあって。
長崎さんに対して、私は、そんな印象を持っていたのですが。
長崎さんが、極める人であるだけではなく、それを伝える言葉を持っている人になった背景には、MINXの故鈴木三枝子さんの一言があったと聞いたことがあります。
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