無茶振りは成長のチャンス! 計良宏文のクリエイションの原点
ファッション誌をはじめ、ニューヨークやパリ、東京でのコレクションでのヘアメイク、現代美術家の森村泰昌氏、写真家・華道家の勅使河原城一氏、文楽人形遣い・勘緑氏など、多様なアーティストとのコラボレーションを展開している資生堂トップヘアメイクアップアーティストの計良 宏文(けら ひろふみ)さん。ヘアメイクの概念を刷新する活動で、日本初・公立美術館での個展開催も果たしています。2019年11月にはヘアクリエイションのバイブル本「KERAREATION」(女性モード社)を刊行。書籍でも紹介されるクリエイション発想のヒントについて、ご自身のこれまでの歩みを踏まえてお話いただきました。
ビジュアル系バンドでの活動が、ヘアメイクの原体験
僕の田舎は新潟の佐渡島。独特の文化や芸能が息づいているところです。たとえば近年では、佐渡に拠点を置くプロ和太鼓集団「鼓童」を中心に国内外のアーティストや文化人を佐渡に招いておこなうアース・セレブレーションという野外フェスティバルを開催するなど、海外からも注目されています。
佐渡島の島内にライブハウスがいくつかあり、僕も高校時代にバンドを組んでロックバンドのコピーをしていたんですよ。X japanやBUCK-TICKの影響を受けて髪の毛を立てたりしていました(笑)。ライブのときに友達の髪をつくるのが楽しくて、「お前、上手いな」って言われたりして。先に美容の道へ進んでいた姉の影響もあり、美容師やヘアメイクの仕事に興味を持ちました。
資生堂美容専門学校を選んだきっかけは、姉から「教え方が丁寧」だと聞いていたからです。専門学校時代はパリコレで日本人初のヘアメイクを担当したマサ大竹氏の写真集を見て斬新なアイディアに衝撃を受けました。卒業後、資生堂の選考試験を受けたら運良く合格し、資生堂ビューティークリエーション研究所に所属することになりました。いつかマサ大竹氏のような一流のクリエイターと働きたいと思っていたので、合格が決まったときはうれしかったですね。
資生堂の9ブランドを担当する人気アーティストに
資生堂に入社後は当時五反田にあったMASA(マサ)という直営サロンで働きました。7年間くらいはサロンワークが中心の毎日でしたが、資生堂の広告撮影の現場で学ばせてもらう機会があったんですよ。次第に現場の仕事が増えていき、あるときマサ大竹氏から「そろそろヘアメイクのチームで活動してみないか」と声をかけられ、以降ヘアメイク中心の仕事になりました。
見習い的な仕事から始まり、少しずつウーノ、ジェレイドなどメンズラインのブランドを担当するように。ジャニーズ事務所のタレントさんの仕事が多かったこともあり、「ジャニーズ担当」と言われていた時期もありました。
その後、マシェリやTSUBAKI などのブランドも担当することになり、同時に9つのブランドを任されていた時期もあったんですよ。これは今考えると異例のことで、毎週1日か2日は何かしらの撮影をしていましたね。撮影の合間に打ち合わせや撮影準備もあるし、撮影後は美容情報をまとめた資料をつくったりもしていました。さらに商品開発や商品を効果的に使うテクニックの研究などもありましたから、本当に忙しかったですね。
資生堂という会社に所属して、社内で情報を共有するための仕事をしていたからこそ、クリエイションを言葉にする能力が養われました。どういう思考プロセスがあって、どういう結果が導かれるのかなどを、人に伝えることができますし、クリエイションのメソッドを書籍にまとめる際にも役立ちました。
海外のデザイナーの無茶振りにクリエイティブ脳を鍛えられる
海外コレクションの経験も、自分にとって大きな転機になりました。もともと資生堂から海外コレクションにヘアアーティストを派遣していなかったのですが、「海外のレベルを見てきてほしい」という使命を受けて、海外のアーティストの動きを注視したんです。そこで「日本人も通用するかもしれない」と感じて、帰ってすぐに「僕らだったら3人くらいいればできます」と大口を叩きました。その後、ニューヨークコレクションに派遣されることになり、そこでいろいろなデザイナーの無理難題ともいえる要望を叶えることになったんです。
ファッションデザイナーは髪を服の素材と同じように世界観を表現するマテリアルの一つと考えているんですね。たとえば、「馬の尻尾のような質感にしてほしい」と言われて、いろいろなスタイリング剤を試して最適な方法を見つけ、束で揺れる感じを出したりしました。馬の尻尾って一本一本が太くて、すごくドライな感じなんですよ。髪の艶を求められるサロンワークと正反対だったんですよね。こうした無理難題と向き合ったおかげで、表現の引き出しが増えました。
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