【jurk東京で始動】名古屋発ブランディングサロンを成功させた沢井卓也はなぜ東京出店を決めたのか。ファッション界への歩み、オールスターを輩出するバリューも注目
革新的なアイデアと業態を打ち出し、名古屋でjurk(ユルク)のスタートアップを率いた代表の沢井卓也(さわいたくや)さん。2019年4月の名古屋オープン以降、1年経たずして拡張移転、同時にアパレルとネイルを展開。そして2022年1月に東京店オープンと、快進撃を続けています。圧倒的なブランディング力と抜群のセンス、また高い発信力で顧客だけでなく美容師からも絶大な支持を誇るjurk。なるべくしてなったとも言える東京進出の背景について、オーナーの沢井さん、そしてアパレル部門バイヤーとプレスマネージャーを兼務する新美歩(にいみあゆみ)さんに、わたくしライター水戸怜子が直撃しました。
想定外の未来を求めていた。だから東京一択
水戸:東京の出店については、ずっと視野に入れていたのでしょうか?
沢井:jurkを立ち上げた時から、東京出店は漠然と頭にありました。具体的には何も決まっていなかったけれど、東京出身のスタッフもいましたし、僕らも挑戦する覚悟はあるなという感じでしたね。
アパレルの展示会で東京に来た時には、テナントも常にチェックしていましたし、気になった物件は内見もさせてもらっていて。ココが空いているんだなとか、こんな場所に出したら素敵だな、とイメージも湧いていたし。時期的にも、そろそろもう1店舗出そうとしていたタイミングだったので、やるなら東京だなと思って決めました。客観的に見ても、その方がjurkらしいのかなと。
あと、名古屋で2店舗目をやって、正直それだけが正解とも思えなくて。同じことを繰り返すことは、想像できてしまう未来でしかなくて。あまりワクワクしなかったというか。
自分たちにとってのステップアップや、可能性という点においてもそう。僕自身、アパレル関係の方やモデルさん、インスタグラマーの方を対応していきたいという気持ちもありましたし、実際にそういった職業の方へのブランディングを通して、よりおしゃれなお客さまでいっぱいにしたい。そしてお客さまをより洗練させていきたいと考えていました。高みを求めるといった意味でも東京一択だったかなと思います。
>“着飾ること”はjurkの原点。ファッション思考なブランディング