三浦編集長に聞く! 美容師のバイブル『CHOKiCHOKi』の誕生秘話(前編)
掲載するヘアスタイルは全部、サロンにお任せ
−それから人気の雑誌になっていったと思うのですが、誌面に出るモデルさんや美容師さんはどうやって決めていたんですか?
三浦:基本的には全部サロン任せです。「ヘアスタイル出して」ってよくお願いしていました。美容師さんのハント能力ってすごいじゃないですか。実際、カッコイイモデルさんを連れてくるし。
−じゃあ、美容師さんと一緒につくった雑誌ですね。
三浦:キレイな言い方をすればそうなりますけれど、実際のところはみんなに頼りっぱなしでしたよ。
−最初のころ、印象に残った美容師さんと言えば誰ですか?
三浦:現ROOTS代表の加藤孝子さんですね。彼女が見開きでつくったヘアがヒットしたはず。彼女は、他誌の思い出の一枚みたいな企画で、『CHOKiCHOKi』の見開きページを出してくれてましたね。もうボロボロになってて、「なんでこんな汚いのしかねえの?」って言ったんですけど(笑)。
−きっと、たくさんの人に見せていたんですよ。
三浦:そうでしょうね。AKROSさんとも付き合いが長いですよ。現AKROS BIZ STYLE代表の角田修一くんもヒットメーカーでしたね。彼らに続くように、いろいろなサロンの若手の美容師さんがどんどんスタイルを出していって、盛り上がりを感じられるようになりました。OCEAN TOKYOの創業メンバーも昔からの知り合いで、アシスタントのころから知っているんですよ。
−大人気企画「おしゃれキング」はどういうきっかけでスタートしたのですか?
三浦:2003年くらいだったと思うのですが、その当時はどの雑誌もストリートスナップが企画の軸だったんですよ。で、うちもやろうと。何回が続けたのち、「誰をもう1回見たいか」という読者投票をしたんです。そうしたら、6、7人くらいに票が集中したんです。じゃあ、この子たちでレギュラーの企画をつくったら喜ばれるんじゃないかと。どうせなら名前をつけよう、とにかくわかりやすいし、覚えやすいだろうという理由で「おしゃれキング」ってつけたんですよね。
−その中の初代キングは奈良裕也さんがいて…
三浦:そうです。でもね、最初のころは体育大学の学生さんとか、それぞれいろいろな分野で活躍している人たちがいました。必ずしも美容師さんだけではなかったんです。のちに割合がどんどん増えていきましたけれど。やっぱり洋服が好きで、オシャレに着こなしているのは美容師さんが多いよねってことで。