【apish坂巻哲也さん追悼企画】創業から26年、共に歩んだ3人が語る「美容の父が教えてくれたこと」

 

やる気をもらった、心に響いた言葉たち

 

編集部:みなさんは、坂巻さんから直接カットを指導されていたメンバーということですが、社内ではどのような形でスタッフを指導されていたんでしょうか。

 

 

宮下:僕は直接カットを教えていただいた最後の代だったんですね。サロンワークで毎日20〜30人を施術していた多忙な坂巻が、まだ全然下手だった僕をあきらめず、ちゃんと指導してくれて育ててくれたことに本当に感謝していますね。

 

佐藤:坂巻の技術を忠実に継承しているのは、宮下だけなんです。だから今もapishの技術教育を統括しています。僕と樋口は、少しアレンジを加えて自己流にしちゃっているんですけど。

 

宮下:坂巻はスタッフに仕事を任せるのも上手だったなと思います。表参道の店舗は佐藤に任せて、銀座店を出すときは僕に店長を任せてくれて。プレッシャーもありましたけど、やっぱり信頼してくれたことが嬉しかったですね。銀座出店も、当時はまだ有名店が数店舗しかなくて。先見の明があったんでしょうね。

 

 

ひぐち:私はスタイリストになりたての頃、坂巻に言われた言葉で美容師人生が変わったなと思っていて。当時は人気絶頂の坂巻が作るスタイル目当てに、連日フリーのお客さまが殺到していたんですね。同じ髪型をとにかく真似して作っていたんですけど、それだとリターンされないわけです。でも新規がたくさん来るのでいいかなって軽く考えていたら、あるとき坂巻から「いくら真似しても俺にはなれないし、お前は自分の武器をつくらないと生きていけないぞ」と。そこから自分の売りについて考え始めて、アレンジに挑戦して今に繋がったというのがあります。

 

佐藤:坂巻は、言葉がけがいつも的確だったよね。店販が苦手なスタッフには、「俺らは髪のプロなんだから、ヘアドクターとしてお客さまに治療として合う商品をお出ししろ」と言ってました。「頭痛で病院に来ているのに、バファリンを出さないだろ?」って言うわけですよ(笑)。

 

 

ひぐち:それ、よく言ってました。「お客さまのために」と思ったら、逆に商品をご案内しないほうが失礼だって。

 

宮下:「一度決めたらやり通せ」というのも、昔からずっと言っていて。僕は不得意なSNSを今でも毎日投稿しているんですけど、坂巻から「やったほうがいい」と言われたので、そこは守ろうと思って続けているんですけど。

 

佐藤:ここでは語り尽くせないほど、いろんなことを教えてもらいました。坂巻はスタッフが「apishに入ってよかった」と思える会社づくりを目指してやってきましたが、オープン当初は「5店舗できたらすごいよね」なんて話していたのに10店舗になりましたからね。坂巻の意志を受け継いで、今後もみんなで頑張っていこうと思っています。

 

 

(文/織田みゆき 撮影/宮崎洋)

 

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