【apish坂巻哲也さん追悼企画】創業から26年、共に歩んだ3人が語る「美容の父が教えてくれたこと」
1998年、表参道に『apish(アピッシュ)』を立ち上げてカリスマ美容師ブームを牽引してきた坂巻哲也さんが、今年3月29日に逝去されました。生前はセミナーやヘアショー、薬剤や美容機器の研究・開発分野でも活躍され、ヘアケア製品やウィッグなどのプロデュースではヒット商品を連発。かつての人気テレビ番組「B.C.ビューティコロシアム」では“美のプロフェッショナル”として出演し、変身企画で多くの視聴者を魅了しました。そんな数々の功績を残された坂巻さんの追悼企画として、今回は知られざるエピソードを取材。過去に坂巻さんのメインアシスタントを務めたapishの重鎮3名にお集まりいただき、雑談形式で対談していただきました。
2001年、坂巻さんのインタビュー記事はこちら
- プロフィール
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佐藤大(さとうだい)/apish副社長
三重県出身。旭美容専門学校卒業。サロンワークを中心に、撮影、ヘアショーなど幅広く活動。ギャツビー「ムービングラバー」ワックスの開発メンバーで、メーカー専任講師として全国でセミナー活動も行う。
- プロフィール
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ひぐちいづみ/apish専務取締役
長野県出身。国際文化美容専門学校卒業。ヘアアレンジに定評があり、ブライダルヘアメイクとしても活躍。美容機器のRefaアンバサダーとして開発に携わるほか、フェザー「ヘアカットモンスター」の監修も。
- プロフィール
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宮下浩一郎(みやしたこういちろう)/apish取締役/テクニカルディレクター
山梨県出身。東京綜合理容美容専門学校卒業。apish本店、apish ginZaの店長を経て現職。技術教育のディレクターとして、apishグループのスキルアップに注力。撮影、セミナー活動、薬剤開発にも携わる。
地方セミナーでの忘れられないエピソード
編集部:坂巻さんは美容師という枠を超えて活躍したスター。美容業界はもちろん、業界外からも愛される存在でした。そんな坂巻さんのことを、一番近くにいたapishのみなさんだけが知る、思い出のエピソードを聞かせていただけたら、と思います。
佐藤:メディアを通して見える坂巻は完璧ですが、その裏では相当な努力家で、誰よりも熱い気持ちで向き合っていました。そんな坂巻にまつわるエピソードって、実は笑い話も多くて。
僕とひぐちは、それこそ1998年にapishがオープンする前の前職から坂巻と一緒で、オープニングメンバーなんです。宮下は中途入社ですが、気づけばもう25年以上一緒でしたね。僕たち3人が駆け出しの時期、坂巻のアシスタントとして地方のセミナーにもよく一緒に行きましたよ。
ひぐち:今は地方セミナーでも日帰りが多いですけど、当時はアシスタント3人が坂巻に帯同して、泊まりで行かせてもらっていて。カリスマ美容師ブームの恩恵も受けて、地方セミナーの仕事も多かったです。バブルでしたね(笑)。
宮下:たくさん思い出がありますよ。坂巻さんは急にアイデアが降ってくる人だったので、あれ持ってる?これある?という感じで、アシスタントだった僕たちに振ってくるわけです。だからいろんなものを現地で調達しなきゃいけなくて。パーマのセミナーじゃないのに、突然「ロット持ってきてる?」とか聞かれたときは焦りましたね(笑)。あるわけないじゃないですか!っていう。
佐藤:仕方がないから、現地の見ず知らずのサロンに飛び込みして「ロット借りてもいいですか?」って(笑)。
編集部:えっ? 天下のapishさんが、地方で飛び込みですか?(苦笑)
宮下:2000年頃の話ですが、今みたいにスマホがあって簡単に連絡がつく時代ではないので。それはもう大変でした。借りたロットは、きれいに洗ってお返ししましたよ。また綿密に打ち合わせしたのにも関わらず、現場でひっくり返ることは多々ありました。セミナー直前になって、坂巻がapishに置いてある道具を使いたい、と。慌てて僕らが手配することになり、飛行機のジェット便で東京から送ってもらったこともあります(笑)。
ひぐち:私たちがアシスタントだった当時は大変でしたけど、今はその気持ちがわかるんですよ。当時の坂巻も40歳くらいで、目の前の仕事に燃えていましたからね。そういえば、一度だけ熊本のセミナーで坂巻が食あたりで倒れちゃったことがあって。早朝に救急病院に行って点滴して、歩けないほど衰弱して直前まで車椅子に乗っていて。
佐藤:でも本番になったら表情がスッと変わって、2時間やり切ったんですよね。終わってからまたグッタリしていましたけど、あのプロ根性はすごかった。
宮下:あのときの姿はすごく印象に残ってますね。坂巻は仕事に対する熱量がすごかったので、ヘアショーのときも細部にまでとことんこだわるんです。ステージの光や音などの演出から、モデルの衣装やタイミングまでゼロから10まで作りあげるプロデューサーだったので、納得いかないことがひとつでもあると追求するんですよ。職人魂が全開でしたね。
創業当時の思い出の写真(apish提供)