メディアを使い、戦略的にブームを起こす −airグループ20周年の軌跡を岩田社長に聞く【中編】−
airにとっては不景気こそチャンス!
10年目の前後は、ちょうどリーマンショックの影響があり、世間的には不景気でしたけれど、僕は不景気こそチャンス、ラッキーだと思っているんですよね。みんなが弱気なときは、投資のチャンスがあります。美容室に関するところでは、条件のいい居抜き物件が、ごろごろしていました。
これまで青山や表参道にあるようないわゆるブランドサロンがなかった二子玉川に出店したのもその頃。今でこそ、他社も出店していますが当時はウチだけでした。
そのほか青山や原宿、渋谷以外で成功したエリア をあげるとしたら、やはり銀座ですね。僕らが銀座に出店した頃は、大手のサロンはありましたが、ブランドサロンはありませんでした。
僕らは『CanCam』の読者にあたる20代前半に強いサロンでしたが、銀座のお客さまはもう少し大人が多かったわけです。アラサーから30代くらいの女性は『CanCam』世代のサロンにはいきづらいけれど、銀座なら通いやすい。サロンにお客さまが入りきらず、外に行列ができたこともありました。
地方展開をするときもair流は譲れない
都外に直営店が進出したのも同じころですね。今はFCになりましたが、都外1号店は京都でした。幹部会で店長を集めて「現地採用ではairらしさが損なわれるかもしれないから、誰か現地で仕切ってくれ」と言ったんです。
そうしたら、店長たちは「岩田さんがいうのなら俺が行きます!」と言ってくれたんですよ。ところが、高田がそこでブチ切れて「行ってくれと頼まれたから行くようなヤツに任せられるか! お前らには任せられないから俺が行く!」と言い出したので、僕も予定外すぎて驚いたんです(笑)。
「いや、お前は東京にいてくれ!」と慌てて説得したのですが聞かず、結局高田ともうひとりの店長候補で京都に行き、落ち着いたところで店長候補に店を任せることになりました。同じやり方で、福岡も立ち上げています。都外を任せる場合は、帰ってこないつもりで、住民票も移して現地の人間になれと伝えています。それが成功の秘訣だと思っているので。
ただし、地方でもairの料金やサービスは同じなので、最初は「高い!」と言われることも多かったんです。特に福岡は時間がかかりましたけれど、今は美容に関心の高いお客さまがたくさんきてくださり、おかげさまで人気店になっています。
- プロフィール
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株式会社エアーエンターテイメント
代表取締役社長 岩田 卓郎(いわた たくろう)
1999年、24歳で「air」を立ち上げ、圧倒的なスピードでトップサロンに仲間入りさせたグループ最高責任者。美容室経営という枠にとらわれず、全ての“美”が集まる総合エンターテインメント企業を目指し、ヘアケアグッズの開発や販売、エステ、ネイルサロン、人材教育などさまざまな分野を見据えた事業を展開。メーカーとの共同開発や自社製品の開発にも力をいれ、多くの美容師を抱えるairグループだからこそ出来るヒット商品を次々と生み出している。「ビューティーコンテンツファクトリー(マリコール)」をはじめとする、世界の有名ブランドがairグループに参加。医療との連携もスタートし、さらなる事業拡大をはかっている。
(文/外山 武史 撮影/菊池 麻美)
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