方針を変えたのは店を守るため。悪戦苦闘の中で、ずっと自問自答を重ねてきた―10年サロン「SORA」のブランディングストーリー前編
2004年〜2008年 スタッフマネジメント期
経営者として、プレイヤーとして。二足のわらじの大変さを知る
必死の思いで見つけたのが、現在の広尾店です。広尾商店街の中にある物件で、広さは60坪ほど、カット席は14面です。移転後からは新規のお客さまが続々ときてくれるようになりました。人通りの多い商店街の中になったことで、認知度が高まったんだと思います。店も広くなり、忙しくなってきたのでスタッフもさらに新しく採用しました。
ただ、売上が改善した一方で、別の問題も起きていました。新しく入ってきたスタッフはお客さまが途切れずやってくる状況しか知りませんが、立ち上げからいるスタッフは必死で集客をするつらさを知っています。新しいスタッフと、前からいるスタッフの間で、感覚の違いが生まれていたんです。
こうした認識の違うスタッフとコミュニケーションを取って意識をすり合わせていくのは、骨が折れる作業でした。そのうえ、僕自身はプレイヤーとして数字を作りながら、経営もしていかなければいけません。以前のお店からお客さまを引き継げなかったぶん、売上をほとんどゼロから積み上げていかないといけないので、その両立は大変でした。
売上がすべてじゃない。「これでいいのか」と自問する日々
麻布十番店をオープンしたのは、2007年。店舗が分かれたことで、いまいち足並みが揃わなくなってしまいました。出店がいい効果をもたらせばよかったのですが、多店舗展開ははじめてなので勝手がわからず、なかなかうまくまとめることができなかったんですよね。
売上は上がっていたものの、「果たしてこれでいいのか?」と、自問自答する日々でした。そんな状況をなんとか変えていきたいと思いながら、効果的な手を打てていたかはわかりません。
それまでは離職率の低いサロンとして雑誌に取り上げられることもあったのですが、このころから人が辞めることも増えてしまいました。僕たちオーナーが直接スタッフに思いを伝えられる場面がどうしても少なくなってきて、店長に伝えたことが伝言ゲームのように違うニュアンスで伝わることもありました。
>すべてを教えられなくても、ここでの経験がヒントになると気づいた