スタッフの入れ替わりに震災…長かった助走期間は、仲間と「下北らしさ」を突き詰めた青春のような時間だった -10年サロン「Magico」のブランディングストーリー前編
2008年〜2010年 店舗拡張期
思いきってビル一棟借りるも、スタッフの入れ替わりで思うように進まず
オープンから3年ほど経つと、スタッフも増え、売上も伸びてきていました。そろそろ移転などを考えようとしていたところ、大家さんから「ビル一棟を丸ごと貸したい」と相談されたんです。ビルは地上3階、地下1階の建物で、他のスペースは大家さんが使っていたのですが、引っ越すことになったからよければ借りてほしいということでした。
正直、ビル一棟の家賃を考えるとまだ早かったと思います。当時のスタッフは4人で、月の売上が300万円ほどでしたから。でも、こんなチャンスはないなと思って、思い切って借りることにしました。
そこからは、店全体をしっかり稼働させるための集客と求人に力を入れました。ただ、これがなかなかうまくいかない。最初に離れていったのは妹ですね(笑)。妊娠して店を辞めることになったんです。他にも田舎に帰るなど、さまざまな事情で辞めてしまうスタッフが出てきました。せっかく「店舗もビル一棟に拡張したし、これからもっと勢いつけていくぞ」と思ったところだったのに、スタッフが抜けて拡大どころでなく、スタッフの穴を埋めて維持するために奔走することに。なかなか思うようには進みませんでした。
でも、そんなときに「人がいなくて困っててさ〜」なんて友人や昔のスタッフに相談すると、誰かがいつも「いい人いるよ!」と紹介してくれました。入れ替わりながらも、仲間はだんだん増えていきました。
フロアごとにイメージを変え、コンセプトを明確に
入れ替わりはあったものの、全体としてスタッフ同士は仲がよくて、みんなで遊んでばっかりでしたね。お客さまも一緒になって、サッカーを見たり、モンハンしたり……(笑)。でも、そうして一緒に遊ぶようなコアなお客さまは、知り合いに『Magico』を紹介してくれるんですよ。集客に困らなかったのは、こうした“宣教師”のようなお客さまがたくさんいたおかげでもあると思います。
当時は内装もほとんど自分たちで手がけていました。『自分で作るインテリア』みたいな雑誌を買ってきては、「こんな風にしたい!」と盛り上がって、ペンキで壁を塗って。エアコンや水回りといった専門的なところ以外は、ほとんど自分たちでやっていました。本当に楽しかったし、お客さまからも好評でしたよ。
また、フロアの使い方を試行錯誤した時期でもありました。階ごとに内装のイメージを変え、スタッフの年齢や得意なスタイルごとに分けて、それぞれのフロアに配置したんです。その配置も、スタッフの意見を取り込んで何度か変更しています。
現在の『Magico』グループは、地域に集中して出店するエリアドミナント戦略や、世代やコンセプトを明確にしたサロン経営が特徴です。その方法は、フロアごとにそれぞれのカラーをはっきりと打ち出したこのときの戦略がベースになっていると思います。
売上が伸びていく中で、2010年には法人化。ちょうどアシスタントも育ちはじめて、さらにサロンを盛り上げていこうという時期でした。ところがその直後の2011年に、東日本大震災が起きたんです。