激しかったスタッフの入れ替わり。エリアで一番待遇のいいサロンを目指して ―10年サロン「FAVORITE GARDEN」のブランディングストーリー前編
2004年〜2008年 スタッフ安定期
地元に残った美容師が、格好いいデザインを作れるお店を
『FAVORITE GARDEN』は2004年に鳥取県米子市にオープンしました。僕は18歳で美容師になり、出店したのは28歳のころ。美容師になったときから、10年を一つの区切りにしようと決めていたんです。
独立する前は2つのサロンで働きました。最初は、コンテストでもよく入賞しているデザイン力の高いサロン。たくさん勉強させてもらったのですが、社風が合わず退職しました。
次に働いたのは社員が100人近くいるサロンで、制度などいろいろな面でとてもしっかりしていました。ただ、売上に厳しいところだったので、次第に美容師として楽しく働くことができなくなってしまったんです。今となっては売上が大切なこともよくわかるのですが、当時はもっとデザインを大切にする美容師でありたいと思い、自分の店を持つことを決意しました。
サロンをオープンするにあたって選んだのは、僕の地元である米子市です。僕は父が早くに他界していて、兄が県外に出てしまったこともあって、なんとなく地元に残ったほうがいいと感じていたんです。そのため、それまでも地元から遠くない山陰エリアを中心に美容師をしていました。美容師は多くの人が東京を目指しますが、僕のような理由で地元に残る人もいる。『FAVORITE GARDEN』オープン時には、そういう人が格好いいデザインを作れるお店が、地元にもあればいいなという思いがありました。
店の経営方針は「happy life」。まず当たり前のことをきっちりやって、そしてヘアを通して人を大切にしたいという気持ちを込めています。
激しかったスタッフの入れ替わりが、本気のビジュアル撮影で変化した
1号店の店舗は、偶然ご縁があった居抜き物件。広さは18坪、セット面は3面、シャンプー台2台のお店で、僕含め3人のスタッフでスタートしました。
オープン直後から、売上は悪くありませんでした。ただ、難しかったのはスタッフとのコミュニケーション。当時はスタッフの入れ替わりが激しかったんです。
今振り返ると、スタッフ一人一人に多くのことを求めすぎていたのだと思います。当時の僕は、寝ても覚めても仕事のことばかり。スタッフにも、オーナーである僕と同じぐらいに働いたり、サロンについて考えたりすることを求めていました。レッスンも毎日やるのが当たり前だと思い込んでいたので、負担が大きかったのかもしれません。正直、スタッフにも嫌われていたんじゃないかと思います(笑)。スタッフと一緒にご飯を食べに行ったときなどは思いを伝えるようにしていましたが、なかなか伝わらなくて悔しい思いをしました。僕もまだ28歳と若かったし、肩に力が入っていたのだと思います。
ようやく人が安定してきたのは、オープンから2年ほど経った2006年。当時もまだスタッフに高いレベルを求めていたとは思いますが、変わったのはこのころから本格的にビジュアル撮影を行うようになったことです。
ビジュアル撮影をはじめたのは、自分自身がやっぱりデザインが好きだったことと、形になる仕事をしたいと思ったことがきっかけ。スタッフを巻き込んで衣装やデザインを一緒に作り、本気で向き合う楽しさをみんなと共有したことで、スタッフとの絆が深まったと思います。コンテストでも入賞するなど結果を出すことができたし、スタッフからも「いいレッスンになった」という声がありました。この経験のおかげで、結果的にスタッフが長く働いてくれるようになったのだと思います。
同時に、ビジュアル撮影やコンテストでいい結果を出しても、それを維持できる子とそうでない子がいることもわかりました。無理やり頑張らせたときに伸びない子もいれば、厳しく指導し続けることで大きく成長する子もいて、「こうすれば正解」というスタッフ教育はないことを学びましたね。