100年に一度の大不況の中でのオープン。命をかける覚悟だった -10年サロン「Door」のブランディングストーリー前編
2011年〜2013年 接客見直し期
震災を機にレッスンを朝に変えたら、効率が上がった
SNSや地道な教育によって、経営は次第に軌道に乗りはじめました。そんなときに起こったのが、2011年の東日本大震災です。
震災後半年ほどは売上が大きく落ち込みました。『Door』は埼玉や群馬、栃木などの遠方からこられるゲストもとても多いんです。でも、震災後の空気の中で、なかなか遠出をしてサロンに行こうという人は少ない。サロンをクローズすることすら考えました。
そんな中でも、サロンを続けていくためには、何か手を打たなくてはいけません。その一つとして、毎日のレッスンの時間を夜から朝に変えました。節電や節水が叫ばれていたことが理由でしたが、朝のフレッシュな状態でレッスンし、営業前に手を動かすことは学びにも効果的でした。営業後、疲れた状態で夜にレッスンするよりも、よっぽど身につきやすいように感じます。
それから、夜だと「レッスンを何時までに終わらせないといけない」という意識が持ちづらく、ついだらだらとやってしまいがちでしいました。その点、朝は営業時間までに必ずレッスンを終わらせないといけないので、スケジュール管理への意識も身につきました。
接客マニュアルを全員で見直し、原点に立ち返った
接客の流れも一から見直しました。当時はスタッフもみんな不安で、モチベーションも下がりがち。そんなときこそ、もう一度原点に立ち返ってみるべきだと思ったんです。
『Door』にはゲストが来店してからカウンセリング、施術、お会計といった流れを14のステップに分類した「エターナル14」というマニュアルがあるのですが、これをスタッフみんなで一つ一つ見直すことにしました。こうすることで、オープンして数年間で慌ただしくておざなりになっていたことを改めて確認できたと思います。この作業を通してスタッフの結束も強まり、みんなでもう一度頑張ろうと奮起できましたね。
2009年のオープン時はリーマンショック、それから2年後に東日本大震災。厳しいできごとが続き、当時は自分の命をかけるような気持ちで日々サロンに立っていました。
今となっては、大げさだなとも思いますよ(笑)。現在はよりたくさんのものを背負っているけど、いつの間にかその重さにも慣れたんです。でも、当時はそれぐらいの覚悟がないとサロン経営はやったらダメだと思っていた。その強い気持ちが、あのころの原動力になっていたと思います。
- プロフィール
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Door
代表/吉澤剛(よしざわ つよし)
美容、理容のWライセンスを取得。1990年、都内サロンにて美容師としてのキャリアをスタート。28歳でRITZ入社。在職中に著書『フレーミングカット』『RITZ PERM MANUAL』を出版。2009年、エノキモトジュン氏と共同で代官山にDoorをオープン。オリジナルのハサミ「グリップシーザース」開発や、日本で初めての「無重力パーマ」導入など、新しい商材や技術の導入も積極的に行う。セミナー講師として全国各地を回るなど、サロン外でも精力的に活動中。
(取材・文/小沼理 撮影/河合信幸)