「鏡のない美容室」を目指して。世界一周をした美容師が描き出す、理想のサロンの形 ―「RAVENALA」宇高俊晃さん

 

2年8ヵ月にも及ぶ世界一周の旅の道中、「地球髪切屋」として、さまざまな土地でさまざまな人の髪を切ってきた宇高俊晃(うだかとしてる)さん。ときには雄大な自然をバックに、ときにはなんてことのない街中で。ハサミを握る場所はバラエティに富んでいたものの、たった一つだけ共通点がありました。それは、“鏡がない”ということ。

 

そんな宇高さんは、帰国後、京都にサロン「RAVENALA(ラベナラ)」を構えます。その美容室には鏡を置いているそうですが、現在でも変わらず“鏡のない美容室”を追求しているのだとか。

 

そこには世界一周旅行を経験する中で生まれた、美容師としてのこだわりと強い想いがありました。

 

美容師になるよりも前から抱いていた、世界一周の夢

 

 

美容師を志したのは高校3年の夏です。進学校に通っていたのでほとんどの生徒が当たり前のように大学進学を希望する中、僕は大学自体に興味がありませんでした。当時は厳しい就職難の時代。何十社も面接を受け、大して興味がない会社に受かったからという理由だけで働くことがどうしてもいやだったんです。

 

職種は定まっていなかったものの、自営業だった父の影響で小さなころから「将来は自分の店を持ちたい」という思いを漠然と持っていたこともあり、美容師を目指しました。

 

世界一周を夢見たのは、美容師を目指すよりもずっと前のこと。小5のころ、社会の資料集に載っていたエアーズロックの写真を見て衝撃を受けたんです。何もない大地に巨大な岩がぽつんとある風景に魅せられ、その写真から目が離せませんでした。しかもその岩は自分の地元にある山と同じくらいの大きさだと知り、さらに衝撃を受けました。「地球ってすごい!」と純粋に感動して、世界にあるそんな風景を見ずに死ぬのはもったいないな、と思いました。

 

小学生時代に漠然と抱いていた夢は、その数年後に生まれた“美容師になる”という新たな夢を叶えてからも消えることなく「世界一周をするなら20代の若いうちには旅立ちたい」と思っていました。ただ美容師として忙しい日々を送る中で、24歳のときに店長を任されることになったんです。もちろん、うれしいことではありました。しかし、立場的に店を辞めにくくなってしまったんです。

 

けれど、僕の中には店長になってからも「20代のうちに世界を旅したい」という強い思いは変わることはなく、28歳のときにその思いを社長に話しました。そして1年かけて自分が伝えられるものをしっかり下のスタッフに伝えてから退社し、20代最後の29歳という年齢で、ようやく旅に出ることができました。

 

>自分の手がけたスタイルが、人と人とを結ぶ出逢いのきっかけになっていた。29歳でスタートした旅の様子とは?

 

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