サロン経営もDJも、ミックスする感覚は同じ 独立7周年を迎えた内田聡一郎が語るLECOのたくらみ
渋谷区渋谷1丁目にLECOがオープンして7年、QUQU、öben、odd(クク、オーベン、オッド)と新しい色を加えながら勢力を拡大しています。代表の内田聡一郎さんは、JHAグランプリに輝くなど、個人としても存在感を増す一方です。今回は、LECOも7周年を迎えたということで、これまでの軌跡を振り返りつつ、7周年記念イベントや、その後の未来について、LECO店長のAMANEさんも交えて語っていただきました。
癖の強いメンバーがLECOのカルチャーを形成している
編集部:まずは7周年おめでとうございます。
内田:7人でスタートしたLECOも、今は40人を超えました。最初のころは、内田の店みたいな印象だったと思いますが、今はいろんな趣味趣向を持つ、癖の強いメンバーが集まっています。一人ひとり全然違うんだけれどLECOのカルチャーを形成しているんですよね。
LECO初の新卒入社であるAMANEも、もう5年目で店長をしています。ゼロからLECOで頑張っているから、ある意味僕よりもLECOイズムが浸透しているかもしれない。彼は僕と同じで、ガチでDJもやっているし、LECOを体現している子なんですよ。
AMANE:LECOはどんどん大きくなっていて、僕より後輩のスタッフが全体の2/3を占めるくらいなんです。みんな個性が強いので、同じ方向に向かせるのは本当に大変なんですけれど、それも含めてすごく充実しています。
内田聡一郎もアラフィフに
内田:僕ももうアラフィフなので、アシスタントとは20歳くらい違うわけです。それだけ歳が離れていると、面と向かって本音を言えないと思うんですよね。だからこそAMANEには期待しています。純度100%のLECO育ちだから、マインド面の伝達に関してもある意味一番信頼できると思っているんですよ。
僕は賞レースにこだわるし、クリエイションの部分でもまだまだ走っていきたいとは思っているんですけれど、気が付けばもうアラフィフなので、トレンドを牽引するようなところは若手にパスしていきたいと思っています。
編集部:時が経つのは早いです。この7年で一番大変だったことは?
内田:本当にね。あっという間の7年でしたけど、あらためて振り返るとまだ20人くらいの規模だった3年目くらいが一番大変だったかな。
創業時のメンバーが多少離脱したり、浦さやかがQUQUをつくって、それまで別のサロンだった人たちがジョインして、摩擦みたいなものがありました。それをどうにかこうにか乗り越えて。でも、3年目に苦しい経験をしてよかった。組織が大きくなってからだと、辛さが倍増すると思うから。まあこれからもハードシングスは起こるんだろうけど。
>クラブで朝4時の出番でも、朝練に参加するDJ店長「AMANE」