永遠の反抗期!不良美容室阿佐ヶ谷3349オーナーの数奇な美容人生
佐川急便でお金を貯めたのち、美容師養成塾へ
そんなこんなであてもなくサロンをやめて、今度は肉体労働の東大と表現されるくらいハードワークだと言われていた佐川急便で働くことに。ソフト・オン・デマンドの社長、高橋がなりさんの自伝を読んだことがきっかけです。そこには「負け犬の勝ち方」が書かれていたんですが、「自分は負け犬なんだな~」と思いまして。それで、かつて高橋がなりさんも働いたことがある、佐川急便で頑張れたら何でもできるって考えたんです。
佐川急便で、短期間でお金を貯めて、もう一度美容師に戻ることを決心。ちょうどそのとき、原宿に「6カ月でスタイリストデビューできる」と掲げている養成塾があったので、そこに入ることに。とりあえず負け犬の自覚があったので必死にやっていたら、塾長から「君は本当にいい!」と認められ、その養成塾を運営している原宿のサロンにそのまま入社させてもらえることに。でも実際、僕の技術は全般的にダメだったんですよね。当然、スタイリストとしては働けないので、アシスタントから再出発しました。
原宿のサロンは立地もよかったし、めちゃくちゃ忙しかったです。朝8時にシャンプー台で起きて練習を始めて、21時に終わったらクラブでモデルさんを捕まえて、4時か5時くらいまで遊んで、シャンプー台で寝る、みたいな。週1回だけ着替えを取りに家に帰るとか、そんな環境だったのでめちゃくちゃ鍛えられましたね。朝いきなり大クレームが入り、夕方に褒められて、また夜にクレームが入る…みたいな毎日を過ごしていました。もう絶対に戻りたくないですね(笑)。
転職先でいきなり店長に…! 嫌な先輩を結果でねじ伏せる
あるときパリコレクションのヘアメイクの仕事が決まって、親や周りに自慢しまくっていたんです。ところが、1週間くらい前にオーナーを怒らせて行けなくなり、それが原因で辞めてしまったんですよね。で、とりあえず食っていかなきゃいけないということで、今度はフリーランスになりました。
面貸しサロンに入って、いきなり店長になってしまったんです。でも、これが全然いい話ではなくて、自分より年上のベテラン美容師さんたちの上に立ってしまったから、理由もなく無視されるとか日常茶飯事でして。スタッフを集めて会議をしても、誰も僕の話を聞いてくれないわけです。新参者の話なんて誰が聞くかって思われていたんでしょうね。
これはもうとりあえず結果を出して認めさせるしかないと思いました。お客さまや友達のコネクションをすべて駆使して、3カ月で圧倒的な結果を出して、「この人はやばいな」という人に辞めてもらいました。僕に対して「あんたは頭よくないし、美容師としてしょうもないじゃないですか」とか、捨て台詞を言って辞めていきましたけれど…。