22歳で武道館に立った男の思考回路「美容師は夢見がちでいい!」 -浜本 忠勝さん U29次世代美容師-

愚痴や不満から距離を置き、尊敬する先輩を追いかける

 

 

 

そうして最初に選んだサロンでは、とにかく最短でスタイリストになりたいと思っていました。

 

「早く実力をつけたいなら一番忙しい人について働くといい」

 

これは尊敬する美容師さんがインタビューで語っていた言葉です。僕もそれを実践したいと思っていたら、偶然にもオーナーのメインアシスタントになるチャンスが与えられて、早くからサロンワークや撮影現場を経験することができました。

 

また、「アシスタントはこうあるべき」という固定概念にとらわれすぎないように意識しました。アシスタント時代から撮影はしていたし、服装も自分の個性を押し出してきたので、ちょっと浮いていたかもしれません。

そのころ、専門学校の同級生と会ったりすると、みんな「仕事がつらい」とか「先輩が嫌」とか不満を言っていて、あんまり聞きたくないと思っていました。だから、不平不満や愚痴から距離をおき、年上の活躍している先輩の話を聞くなど、自分より上にいる人を見て、その人たちに追いつけるように毎日を過ごしていましたね。

 

そして、いつも3年後とか5年後の「スタイリストとして活躍する自分」をイメージしていました。だから、毎日、張り合いがあったし、いつも前向きでいられたんですよ。

 

転機になったナプラドリームプラスの準グランプリ

 

美容師になって叶えたいと思っていた夢に、「海外で仕事をする」というものがありました。もともと僕は幼稚園のころアメリカで過ごしていたこともあり、海外が好きなんですよね。アシスタント1年目のころから、短い休みを使ってパリやニューヨークに行っていました。

 

そして、アシスタント3年目、ナプラドリームプラスというコンテストに出場。自分の実力を試すだけではなく、ミラノコレクションのヘアメイクに挑戦する権利を獲得することを目標にしていました。

 

その結果、武道館のステージにもあがることができ、準グランプリを獲得。準グランプリを獲得できた理由を自分なりに分析すると、当時22歳の僕が求められる感性をデザインに落とし込んだのがよかったのかなと。モデルさん選びも妥協せず、ロングからバッサリ切ることで変化をわかりやすくしました。出場者の中では最年少だったから、若い人にしかできないような原宿系のスタイルをあえて狙いました。審査員に「若さ」を期待されていると考えてやったことです。

 

そうして海外にも行くことができ、自分の知名度もあがってSNSのフォロワーが増え、さまざまなメディアに取り上げてもらえるようになりました。SNSを使うときにこだわっているのは、作品撮影に協力してくれたモデルさんに、できるだけ早く撮影したデータを渡すこと。鮮度が高いうちに渡すことで、モデルさんがシェアしてくれて、そこから拡散されていくんです。これが情報発信するときのポイントですが、意外とやっている美容師さんは少ないのではないでしょうか。

 

>お金がない、時間がない、それでも夢を忘れてほしくない

 

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