日本からロンドン、世界へ。伝説の美容師・「TONI&GUY」雑賀健治の生きた道とは?|雑賀英敏インタビュー
日本に戻ってきたばかりの頃
父は、約10年のイギリス生活を経て、「TONI&GUY」のフランチャイズ1号店を出店するため、84年に日本に帰国。同年に「TONI&GUY」の日本法人を設立します。お店を出す準備をしながら、全国を周り、イギリスで学んだ技術を伝えることに力を入れました。日本にはまだ入ってきてなかったフィンガードライとか、そこからムースで固める技術とか、指一本分で切ってロングヘアの人をスライドカットでつなげていくとか。
その頃は講習会をする毎日を過ごしていたようです。しかもとんでない仕事量をこなしていました。当時のスケジュール帳を見ると、午前中に青森で講習、午後は神戸で講習…。考えてみると、日本に帰ってきてから1年くらいはずっと父が家にいなかったですね。最新の技術や「TONI&GUY」魂を広めたいという一心で飛び回っていたのかなと。85年にサロンをオープンしますが、はじめはスタッフ総出で人を呼び込んだり、スタッフとうまくいかなかったりと苦労も多かったようです。店を軌道に乗せるまでは本当に大変な時期だったと思います。
「TONI&GUY JAPAN」をオープンした頃のスタッフと
でも、仕事の話をするときの父はいつも楽しそうでした。ショーに連れて行ってもらうと華やかな世界が繰り広げられていて『かっこいいな』と思い、僕も自然と美容師になりたいと思うようになりました。僕が中学の頃、『高校に行かないで美容師になりたい』と言ったことがありました。そのとき父が言ったのが『英敏、ちょっと待て。本当に美容師を目指すなら、ある程度の学校に行ってからにしろ』と。当時、美容師は勉強ができなくてもいいという風潮がありました。それが、美容師という職業が甘く見られる理由なのだと考えていた父は、美容師も学がなくてはいけないと強く思っていたそうです。
イギリスって、日本よりも美容師の地位がずっと高いんです。そういう環境を知っているからこそ、日本でも美容師の価値を認めさせたいという気持ちがあったのでしょう。アカデミーを立ち上げ、綿密にカリキュラムを組んだのもそんな気持ちがあったからだと思います。晩年はまさしく『美容師の地位を高める』ための活動に重きを置いていました。今、アカデミーで使える技術やデザインはもちろん、僕が教育に力を入れているのは、そういう父の思いを次世代に伝えたいからです。
>息子が知った偉大な父の背中