日本からロンドン、世界へ。伝説の美容師・「TONI&GUY」雑賀健治の生きた道とは?|雑賀英敏インタビュー
ロンドンで文化、技術、お客さまを魅了する術、そして人との接し方を知った
ロンドン時代、プライベートでは川島文夫先生(「PEEK-A-BOO」創設者)たちとよく飲みに行っていたそうです。ロンドンで美容師をする日本人は多くなかったでしょうから、お互いに激励し合っていたんでしょうね。当時のロンドンはザ・ローリング・ストーンズが活躍するロック全盛期。セックス・ピストルズやヴィヴィアン・ウエストウッドが出てきたりと、音楽はもちろん、ファッション的にも日本人の父には刺激的な都市だったようです。最前線のカルチャーの刺激を一身に浴びて、自らのセンスを磨いていったんだと思います。
イギリスで学んだことはたくさんあると思います。世界基準とか、視野を広く持つことの大切さはもちろん、日本では学べないテクニックをたくさん習得していたと思います。ヴィダルサスーンでは、指の間で髪を挟む方法など最新技術をリアルタイムで学びましたし、「TONI&GUY」では、鏡の前での“魅せ方”を学んだと思います。イタリア人ってパフォーマンスが上手なんです。お客さまの目を見ながらブロウをしてドキっとさせたり。そして、誰に対しても平等に接する精神を学んだといいます。
もちろんマスコロ4兄弟からも多くのことを学んだと思いますよ。
彼らはどんな人物だったかというと、長男のトニーは、イタリアから移民してきたマスコロ一族の長男として家族の面倒を見ていた苦労人。そのため、タクシーにも絶対乗らないし、車も弟のお下がりをもらって乗るし、紙コップ1つも無駄にしない性格です。「TONI&GUY」がロンドンに進出した当時から『世界征服する』と言っていたそうです。父は『何を言っているんだ』と思ったそうですが(笑)。次男のガイは、甘いマスクの持ち主。女性にモテモテで、店には彼目的の女性客の行列ができていたそうです。三男のブルーノはマーケティング力、ビジネス力、クリエイティブ力が全て揃ったバランスタイプ。現在、アメリカ法人のCEOを任されていて、アメリカに美容学校をいくつも構えています。末っ子のアンソニーは一番の天才肌。15歳で美容の道に入り、17歳でヘアショーなどの世界ツアーを成功させています。「TONI&GUY」が世界に広まったのは彼の技術力とクリエイティブ力があったからにほかなりません。父はそんな彼の教育係だったのですから、周りからのリスペクトは凄まじいものがあったと想像します。
ヨーロッパ各地でヘアショーをする健治さん
>午前中に青森で講習し、午後は神戸で講習