新世代エースを探せ! 飄々とした表情の下に熱情を秘めたDADA CuBiC永江浩之
植村のような人には、もう二度と会えないと思う
-就職先にDADA CuBiCを選んだ理由は?
学生の頃から読者モデルをしていたのですが、あるとき、植村(※)が担当する業界誌の撮影に呼ばれたんです。そのときの現場の様子が衝撃的だったんですよ。スタッフはみんな真剣そのもの。少しの妥協も絶対に許さないというその姿勢にものすごく感銘を受けたんです。そのあと、植村が実際にカットをするヘアショーを見に行ったのですが、そのときも胸が苦しくなるような衝撃で。絶対にこのサロンで働きたいと思ったんです。
※(元DADA CuBiC 代表 植村隆博氏 2013年に逝去)
-入社してからは、順調にスタイリストデビューできたんでしょうか?
僕はアシスタントが長かったんですよ。スタイリストになるまで、7年ちょっとかかったと思います。もともとDADA CuBiCはスタイリストデビューまで時間がかかる方だと思うんですが、それでも遅い方だと思います。でも長くてよかったです。先輩を見ていると、自分はまだまだでデビューできない理由がよくわかったので。植村にも『お前は(アシスタントが)長くてよかったね』と言われましたね。
アシスタント期間が長いということは、サロンにとっては負担が大きいことだと思うんですが、それでも植村は、デビューできるだけの力が身に着いたと判断するまでは、絶対にデビューさせませんでした。『自分の苦手をなくせ』『弱みを完全に克服しろ』とよく言われていましたね。苦手な部分ほど徹底的にやらされたし、そういう技をきちんと見て育ってきました。本当にいろいろな人が面倒を見てくれたし、端の端まで責任を持ってくれたから、スタイリストになってからスムーズにできたのかなと思います。
-永江さんにとって植村さんはどんな存在だったのでしょうか?
ストイックで、とてつもなく、懐が大きくて。ああいう人には、もう二度と出会えないでしょうね。ときには父親のように、家族のように。僕も自分の弱いところをすべてさらけ出してきたのですが、弱い部分をすべて分かった上で育ててくれた。本当に厳しかったですよ。スタイリストデビューしてからも、作品のファイルを植村のパソコンに入れておかないと怒られましたからね。でも、もし、植村に出会っていなかったら、DADA CuBiCに入っていなかったら、 ここまで自分の仕事を好きになれなかったと思うんです。