味噌づくりも髪型も、熟成させるプロセスが楽しい ―発酵ジャーニストと美容師の関係―
無農薬の厳選食材でおこなう発酵食のワークショップや、7種類の金属で作られた密教法具「シンギングボール」を用いた振動&倍音によるヒーリングなど、さまざまな角度から人の五感に働きかけ、ワクワクする体験をシェアしている山下奈保(ヤマシタ ナホ)さん。今回は彼女の意外すぎるルーツを探りながら、素敵な髪型の秘密を教えていただきました。
成田エキスプレスの中で進路変更した元美容専門学校生
実は私、高校生のころ美容師を目指していたんですよ。「人を喜ばせたい。生活がハッピーになる髪型を提案したい」と考えていて、高校卒業後は日本美容専門学校に入学しました。
学生時代に美容雑誌でboyが取り上げられていて、その中で読んだ「美容師になるな。サロンの外で触れた経験が、カットラインやヘアデザインに表れるのだから」というようなフレーズが刺さったからです。それから代官山のboyに通っています。
卒業したらboyで働きたいと思っていましたが、結果としてはご縁がなかったのですが、別のサロンからお誘いをいただいたので、そこで働くつもりでした。
でもその後、思わぬカタチで転機が訪れました。専門学校の卒業旅行はヨーロッパだったのですが、成田エキスプレスで空港に向かっているときに、私の携帯が鳴ったんです。電話の主は沖縄・宮古島の飲食店の方。私は美しい海が大好きで、沖縄の綺麗な海が見たいという想いから、美容師になるための就職活動と並行して、好奇心で宮古島の求人に応募していたのです。電話の用件は、その内定連絡でした。すぐに返事をしないと、その話は流れてしまうと言われ、しかも、数時間後には飛行機は出発、2週間は連絡が取れなくなってしまう・・・という状況でした。
そこで美容師になる自分と、宮古島で暮らす自分をイメージしてみたときに、宮古島の暮らしにワクワクしている自分がいました。美容師になることは宮古島の後でもなれるかもしれないけど、次に宮古島に行く機会があるかはわからないと思い、「行きます」と返事して、卒業後に宮古島へ行くことを決めました
活動の原点「サダナフォレスト」との出会い
宮古島では、たくさんの出会いがあり、自分ともより向き合うきっかけになりました。その中で、これからどう生きていきたいのかを考えていました。答えはシンプル、人生を楽しもうということでした。その後、人生の追い風を感じながら、小笠原や西表島など5年間住みながら働くというスタイルで生活していました。その中で様々な職種や職場を経験しました。それはどこに行ってもやっていけるような自分になりたかったのと、たくさんの経験をしたかったからです。
その後、日本では経験できないことを求めてインドへ。そこで現在の活動のベースとなるインドのサダナフォレストと出会います。そこには自然と調和しながら生活するコミュニティがあります。住居、食事、排せつなど、生活の全てが、自然のなかで循環する仕組みになっていて、貴重なエネルギーや水について深く考えるきっかけと気づきを与えてくれました。その後インドから戻り、2年後、五感を使って滞在して、気付きを起こすことができる空間を作りたいと思って宮古島へ移住しました。
宮古島で自然と寄り添う生活の中で、自分たちが口にするものがどのように生まれるのかに興味がわき、全てのものを作ってみたいという想いになりました。まず最初に自然栽培米を買って蒸して麹を作ってみることに。丸4日かかって出来上がった麹を見て、「この麹でお味噌を作りたい」という気持ちがわいてきたのです。そして、自分の好きな友人たちと一緒に味噌作りをしたときの空間が、すごく愛に満ちており、感動しました。それがきっかけで、手作りする楽しみや美味しさをシェアしたいと考え、味噌づくりのワークショップなどの活動をはじめ。
活動を続けていると、市販のお味噌汁を飲まなかった子どもが、お味噌汁を飲んでくれますという言葉が親御さんから届いたり、玄米が食べたくないといっていた子どもが私のワークショップで使ってる自然栽培の玄米をおかわりしたとか、うれしい出来事も増えてきました。これは体が本物の食べ物を求めていた、ということではないでしょうか。これは大人も同じで、体が求めているものを食べることが大事だと思います。
体が酸味が利いたものを求めているなら黒酢を使った料理を作るとか、甘みがほしいならみりんがいいのか、とかですね。体は食べ物でつくられるから、本当に求めているものを摂るのは、体をいたわるのと同じ。しかもそれが手作りで、愛情がこめられているものだったら、体も喜ぶと思います。
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