ハサミを持たず”傾く(かぶく)”ことを貫く 唯一無二の世界レベルのカラーリストNOOS岩屋 真のコトダマ

 

第一線で活躍する美容師の人生を変えた「恩師の言葉」を紹介する「美容師のコトダマ」。今回は、NOOS(ノス)表参道の代表で、「ハサミを持たないカラー専門美容師」を名乗る岩屋 真(いわやまこと)さんを動かすコトダマを教えていただきました。言葉を大切にする岩屋さんならではのメッセージです。

 


 

「美容師になるのは認める。英語とコンピューターだけには強くなれ」

 

 

僕の父は精密機器メーカーで活躍し、執行役員をしていた人物です。高校時代に「美容師になりたい」と僕が伝えると、父は「大学に行ってからでも遅くないんじゃないか?」と言いました。

 

でも僕は、「やりたいことがあるのに4年間大学に行く意味があるのかな?」と思っていたんですよね。何度かの対話を経て、父は「そんなにやりたいなら美容師になることは認める。その代わり、英語とコンピューターだけには強くなれ」と言ったんです。

 

その言葉が僕の頭の中にあったので、自然と英語や海外にも興味がわいたし、就職先は世界に店舗がある「TONI&GUY HAIRDRESSING」を選びました。外国人のお客さまと話すときは、どんなに自分の英語が拙くても日本語に逃げなかったし、海外で仕事をするチャンスがあれば積極的につかみにいきました。

 

パソコンの話でいうと、Excelなどのオフィスソフトは一通り使えるし、SNSの運用でもある程度の結果を出してこられたかなと。少し前に父親と飲んだとき「あのときに言った通りだっただろ?」と言われたんですが、ホント感謝ですね。

 

「あんた東京で何をしたの?学校にも行かせて何もしないなんて許されないでしょう」

 

 

夢を持って美容師になったものの、思い通りにならないことがほとんどで、美容師を辞めようと思ったこともありました。

 

母親に「美容師をやめようと思うんだよね」と言うと、「美容室はたくさんあるから、別のところで頑張ったら」と。「そうじゃなくて、美容師をやめて地元のバーで働こうかなと」と言うと「あんた東京で何をしたの?学校にも行かせて何もしないなんて許されないでしょう」と母に強く言われました。それはその通りだなと。

 

「何にも恩返しもできないまま美容師を辞めるわけにはいかない」と思い、踏みとどまることができたから今の僕がいます。そのときのことを、母はまだよく覚えていて、「お母さんの一番のファインプレーだったよね」と言われるんですよ。

 

「カラーリスト制度は絶対に成功するから大丈夫だよ」

 

 

アシスタント時代、僕がバックヤードでホイルを切っていると先輩が「カラーリストに興味ない?」と聞いてきました。海外ではカラーリストは一般的でしたしその地位を確立していましたが、日本の場合はカットとカラーを分業制にしているサロンは少なかったんですよね。

 

正直、あまり興味がなかったのでその日は返事を先延ばしにしたんですが、家に帰って「ちょっと待て、今カラーリストになれば競争率低いよな」と思ったんです。僕はとにかく早く自分の存在意義をつくって、上の立場の人たちと対等に仕事ができるようになりたかったので、次の日の朝にカラーリストを目指すことを伝えました。

 

カラーリストになってすぐ、TONI&GUY創始者である雑賀健治先生のシャンプーをさせてもらう機会がありました。そのとき「岩屋くん、カラーリスト制度は絶対に成功するから大丈夫だよ」と声をかけてもらったんです。この言葉には勇気をもらったし、何があったとしても、自分の選んだカラーリストという道を、正しい選択にしていく努力をしようと心に決めました。

 

 

>「もう岩屋くんのいる場所はJリーグじゃないよ。ワールドクラスの自覚を持って」

 

Related Contents 関連コンテンツ

Guidance 転職ガイド

Ranking ランキング