【名古屋の赤ペン先生初登場】コロナ禍にブレイク『住吉塾』会員数は1200人超え。住吉望の波瀾万丈物語・前編
コロナ禍で対面式セミナーが続々とキャンセルされ、オンライン教育が爆発的に盛り上がり始めた2020年。その前年にカット専門オンラインサロン『住吉塾』を立ち上げ、着々と活動していた名古屋在住の住吉望(すみよしのぞむ)さんは、コロナを機に一気にブレイク。会員数は10倍になり、カット教育者の座に躍り出ました。住吉さんがどのように技術を磨き、教える技術を身につけたのか。その気になる経緯を伺うため、ZOOMインタビューを敢行。そこには、秘められた波瀾万丈なストーリーが…。住吉さんの汗と涙の物語を前編・後編でお届けします。
新卒で大型サロンに就職。岐阜店でキャリア開始
僕はよく名古屋の人だと間違われるのですが、千葉県出身の関東育ちなんです。東京で面接を受けて全国展開する大型チェーン店に就職して、地方に人が足りないということで岐阜店の配属になりました。そこから四日市や名古屋の店舗へ異動し、最終的に栄店の店長になり、中部エリアの統括教育ディレクターもしていました。大枠はこのような流れなのですが、今回は僕のこれまでの経緯を知っていただくために、思い切り蓋を開けて実情を話したいと思います。
大型店ですから、一応「技術教育マニュアル」はありました。ですが、実際は各店舗の店長に教育を一任されていたんです。東京から教育責任者が派遣されるわけでも、勉強会などがあるわけでもなくて、要するに現場任せで放置されているような状態で。中途入社のスタッフについては技術を教える必要はないという考えもあり、サロンで統一された技術マニュアルが存在しないんです。
当時の僕の技術指導をしてくれていた店長も、中途入社組でした。その店長が名古屋に異動することになり、僕も専属アシスタントとしてついていったんですが、配属先の店長は全くやり方が違う方でした。新しい店長の管理の下で、3カ月間ワンレンだけをカットするように言われ、そのあとは延々とマッシュのみをカット。こんなやり方、本当に現場で通用するのかという不信感でいっぱいでした。店長の意図が分からないし、何より楽しくない。デビューへの道筋が見えない環境では、僕はもうやっていけないと思いました。それで会社に相談したところ、別の店舗である四日市店への配属が決まりました。そして思いがけず僕はスタイリストデビューすることに。カット習得も中途半端なままだし、まだサロンスタイルをやっていない状態ですよ。訳がわからないままフロアに立たされたという形でした。