【最終回】それぞれの場所でどう輝くかは自分次第!-穂高律子のニューヨーク美容師コラム Vol.13-
ニューヨーク含め、アメリカでは6月は卒業シーズン。 毎回大好評の穂高律子さんコラムも、実は今回で一旦卒業とさせて頂きます……。いつもこのコラムを楽しみにしてくださっていた方も多かったかと思います。毎月、ニューヨークから旬な美容情報を届けて頂き、ニューヨークに行ってみたい、ニューヨークや海外で働いてみたいと思った方も多いのではないでしょうか。最後のコラムは1年半のニューヨーク美容師生活を振り返ってもらいました!
コラムを書かせていただいてから、約1年が経ちました。はじめは半年くらいということだったのですが、ありがたいことに13回も続けさせていただき、本当に光栄です! いつも読んでくださったみなさん、ありがとうございます。 一旦今回で、第1章を終了して、またいつかパワーアップして、カムバックをしたいなと思っております!
ということで、今回は総まとめという感じで、わたしの美容師としての振り返り、自分が感じたことをお話ししたいと思います。
今、ニューヨークにきて1年半が経ち、改めて自分の人生を振り返り、毎日思うことは、全てはつながっているということと、感謝する気持ちを忘れてはいけないということです。 今ニューヨークで働けているということは、色々な日々の経験のおかげだなと思います。海外できちんと働くということは、やはり簡単なことではないし、ある程度のベースがあってこそチャレンジするほうが、私はいいのかなと思います。もちろんそれは人それぞれだとは思うのですが。
全てがつながるということは、人もそうだし、技術もそうだなと思います。今ある自分の技術は、わたしなりに13年かけて、目標と目的をもって、アシスタントから頑張ってきた成果だと思っています。技術は全てつながっていて、できなかったことをないがしろにしないで、できるまで練習したこととか、追求心を持って努力していたことが、自分にとって、財産になっていると感じます。このおかげで、ニューヨークにきて、はじめは英語が例え話せなくても、技術に対しての自信はあるので、それを糧になんとかやってくることができました。とはいえ、何事も自分がやりたいようなことをやりたい場所で輝かしくやれるようになるには、私は最低5年はかかるなぁと、いつも思うのでまた新たな壁を越えるスタートを切った1年です。
私は、アシスタントの時から、かっこいいヘアを切りたいから、頑張ってモデハンをし、切りたいスタイルをどうカットしたらいいかわかるまで練習し、チェックに合格して早く次の技術を学びたいから毎日朝早く行って練習し、もっとブリーチが上手くなりたいから先輩にたくさん聞いたり、レシピを自分で何通りも考えて、練習したりしました。 怒られることを怖がらず、先輩に意見を聞いて、自分の引き出しをどんどん増やしていく。常に自分にできないことがないようにしたくて、自分のチェック項目みたいなものを頭に置いて、クリアできるようにしていきました。あの時先輩に聞いて、みっちり教えてもらい、たくさん怒られたからこそ、たくさんのことに気付けるようになったなと思います。一つのことに対して、何個疑問を持てるか。より細かいことを理解したかったのです。 そして、自分もいつか絶対撮影をしたい! と思っていたので、先輩の撮影にたくさん携わりたくて、モデル係になれるように努力したり、もともと興味がすごくあったので、洋書や写真集を買いスクラップして、イメージの貯蓄をしていました。
そして、撮影中はアシスタントをしながら、自分が撮影するときはこうしたいといつもイメージを持ちながら立ち合って、いざ自分が撮影をするようになってからは、他の人の好きな作品なども見て、このどこにグッときているのか自分の惹かれているポイントを客観的に感じ、自分の撮影に足していったりしました。何か必ず心を掴むポイントを入れる。それは、サロンワークにおいても、もちろん、活きてくることなので、自分にとってすごく大切にしていたことでした。
そして、自分の強みを作る。 私はカラーが大好きだったので、自分の得意なことを伸ばしたく、いつもいろいろなアイディアを考えていました。知識とセンス、両方を兼ね備えた人になりたい、といつも考えていました。 美容師さんはたくさんいるけど、オンリーワンになりたくて、自分のいいところを伸ばして、プロデュースする。やはり、どこの場所に行っても、自分の強みみたいなものがあると、より輝けると思います。 平均点が高いことはもちろん大事ですが、何かが秀でることは、美容師として大切なこと。 もちろんそれは、カラーでもカットでも、ものすごく技術のスピードがある人とか、なんでもいいとは思うのですが、とにかくオンリーワン。記憶に残る技術が魅力的だなと思います。 こんなことを考えながら、いろいろな方に出会い、たくさん応援していただいたりして、今の美容師としての”私”ができました。 これが、日本を飛び出してみて、改めて気づいた今の気持ちです。
もっと若くて早くにニューヨークにくれば、違っただろうなぁと思うこともたくさんありましたが、私はたくさんの経験と技術を身につけてから、ニューヨークという場所にきたことは、私にとっては合っていたかなと思います。結果的にも、私の場合は自分がアーティストビザをとる際に、どうしても必要な雑誌での自分の作品をたくさん残すことができたので、よかったなと思います。
でも、どの年齢でトライしても、意思と気持ちがあれば、きっと大丈夫です。私たち日本人は、たくさんの時間を費やし練習し、こうして多くの技術を教えてもらうことができるので、どの国の中でも技術においては、やはり上手いと思います。
そこに、その国の人に負けない発想力や語学力や勢いや勇気が伴えば、かなり強いのではないかと思います。
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