【カラーの鉄人・近藤康雄】埼玉から世界標準のデザインカラーを発信!ヘアアワード世界TOP 50に3年連続ノミネート、ハイパフォーマーな活動に注目

独立願望を一蹴したのは、先輩の”男気”

 

――独立願望はなかったんですか?

 

今、思い返すとターニングポイントが2回ほどありました。1回目は20代半ばです。尊敬していた先輩に「2人でお店やりませんか?」と、こっそり誘ったことがあって。そしたら先輩が「僕らが出たら、この会社がどうなるかわかるだろ?」と。「卒業した店が低迷していくのを見たくない」と言われて、男気を感じましたね。それで僕も考え直しました。




2回目は、40歳になった頃です。その頃はオンラインサロンも始めていました。カラーセミナーを通じて出会った仲間たちとの外部活動が増えていたんですね。もっと自由に動きたいし、好きなことをもっとやりたいなと思っていたんですけど、結局そこでも踏みとどまりました。





――そんな葛藤もあるなかでも、活躍の場を広げていったんですね。ちなみにコンテストに出場を始めたのも。40代からとか?

 

そうなんです。最初に出たのが2019年の「ウエラ トレンドビジョンアワード」なんですが、それまで作品撮りはしていましたがコンテストの撮影をしたことがなかったので、信頼しているヘアデザイナーに撮影を頼みました。その時のエントリー作品が全国大会でカラーアーティスト部門2位を受賞したんです。





――いきなりの2位! さすがの実力ですね。

 

ありがとうございます。でも、僕は自分がうまいなんて口が裂けても言えないんですよ。若い頃から機会をいただいて、国内外で活躍するカラーリストの技術を結構見ていたので。出場前に経験者の友達から、「普段サロンワークでしているデザインをそのまま出せば、全国レベルも全然狙える」と言われましたが、半信半疑でした。確かに 普段のサロンワークで、個性的なデザインカラーは作っていましたが(笑)、自分の力がコンテストデ通用するのかは分からなかったので。でも、いろいろとアドバイスを受けながら取り組んで、結果に繋げることができました。そこからコンテストに挑戦するようになりましたね。






>可能性の広がりを求めて、46歳で出店



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