【カラーの鉄人・近藤康雄】埼玉から世界標準のデザインカラーを発信!ヘアアワード世界TOP 50に3年連続ノミネート、ハイパフォーマーな活動に注目
世界に通じるデザインカラーやクリエイティブ活動を郊外から発信し、優秀な成績を収めている美容師がいます。今回は、名だたるヘアコンテストでの入賞実績をもち、ヘアアワード世界TOP50に3年連続でノミネートされている近藤康雄(こんどうやすお)さんに注目。埼玉県の最大都市・大宮の隣町「宮原」で、サロン『HAZE(ヘイズ)』を経営するオーナースタイリストです。19歳から埼玉・熊谷の地域密着型サロンに入り、27年間勤めたのち、2024年3月に独立出店。近藤さんが作り出すカラーデザインはユニークかつ品のある色彩バランスで、そのセンスに深い知見と底知れぬ実力を感じさせます。ヘアカラーへの飽くなき探究心、そして外部の教育活動にも注力するそのバイタリティは、どこから生まれるのでしょうか。出店までの経緯も含め、取材しました。
21歳からメーカーの講師活動をスタート
――近藤さんは19歳で業界に入られて、そこからどのようにキャリアを積まれたのでしょうか。
僕は高校卒業後に半年間のフリーターを経て、地元で数店舗展開する地域密着型サロンに入りました。美容師免許は通信で取得したんです。働き始めたのが早かったので、21歳から美容師向けの技術講師業を始めて、24歳で店長になりました。役員になったのも20代です。
僕が20代前半の頃はメッシュが流行っていて、お客さまはギャルが多くて。特に僕が働いていた熊谷市は典型的な地方都市なのですが、若者向けのメッシュカラーを提供できるサロンとして知られていました。新規のお客さまにも恵まれ、デビュー半年で月売上は150万円を超えていましたね。
――半年で150万というのはすごいですね。カラーはどのように学ばれたんでしょうか?
ほぼ独学です。業界誌の技術記事を全てスクラップして、有名カラーリストの技術本を買い漁って実証実験していました。サロンワークは先輩たちがとにかく忙しかったということもあって、現場でのカラーはほとんど僕に任されていましたね。その頃から、すでにカラーが好きだという気持ちはありました。憧れる美容師もカラーリストのほうが圧倒的に多かったですし、カラーをしているときはいつもワクワクしてました。
21歳のときにメーカーの依頼で講師を始めたんですが、その講師陣を集めた講習会があり、ニューヨークで5本の指に入るカラーリストから直接学ぶ機会にも恵まれて。そこで初めて、業界トップのカラーリストたちにも会うことができたんですよ。20代前半で、つくづくありがたい経験をさせてもらったなと思います。
――個性的なカラーデザインを始めたのは、いつ頃からでした?
店長になったタイミングでしょうか。それまでは”ギャルの店”と認知をされていて、若いお客さまの要望に合わせて派手なデザインカラーを量産していました。でも僕はそれを変えたかったんです。もっと個性を追求して、パンチのあるハードパーマやドレッド、色彩に遊び心を加えたデザインカラーを始めたんです。そしたら次第にそのような髪型を求めるお客さまが口コミで増えてきて、明らかに客層が変わっていきました。
カラー統括の担当としてスタッフにカラーを教えていた時期もあったんですが、「どこでも通用する技術を教えたい」という思い入れが強過ぎて、厳しめのレッスンをしてしまって。会社的にはそこまで望んでいないということで、その任務からは降りました(笑)。カラーに対するこだわりは、かなり強い方かなと思います。