DaB八木岡聡 創造者、降臨。【GENERATION】雑誌リクエストQJ1999年2月号より

精神。–Spirit-

 

 

八木岡聡は、スピリットの人である。

私は彼に訊きたかった。なぜあなたは日本に戻ってきたのか、と。

2年間ものパリにおける創作活動を休止して、なぜ日本に戻ってきたのか。

しかもなぜ、サロンを創ったのか、と。

その答えのひとつが、“スピリット”という言葉に集約されていた。

 

私は、熱くなった彼に向かって、さらに油を降り注いだ。

お客さんにもスピリットを感じるんですか、と。

 

「そりゃありますよ。その人の、たとえば体型が変化したりする理由もスピリットの反映なんですよ。だらしない生活をしたとか、何かしらあるわけですから。やっぱりそのスピリットって出るわけじゃないですか。ジーン・セバーグみたいにしたいと思って、ヘアスタイルだけでなれると思ってたら、その人自身のスピリットはイージーチョイスのスピリットとなって出てくるわけで。似合わないということもスピリットのうちの一環になるわけじゃない。でもね、ここからが問題なんだけど、ヘアスタイルを変えることで自分自身がタイトになっていったり、やせるきっかけになっていったりすることがあるわけ。つまりヘアスタイルが、もっと自分が魅力的になっていくひとつの素になっていくわけですよね。そういう可能性というのはやっぱり信じてる。やっぱり変わるから、人って。好みも変わるし、その人自身も変わるんですよ。15、16歳でデビューしたコでも、その後のスピリットによってもっと魅力的になるコもいるし、だらしなくて、なんとなく品がなく見えてきたり、生意気に見えてきたりってこともあるじゃないですか。そういう人っていっぱいいるじゃないですか。そういうのと一緒で、ぼくはだれにでも可能性ってあると思う」

 

全くの同感である。

私はこの仕事を通じて思い始めていることがある。

それは人の転機に、実は“美容師が主役として関わっているのではないか”、という想いである。

 

人にはこうありたい、こうなりたいという想いがある。

その想いが、人を変える。

その想いを私はいつも“意志”という言葉で表現してきた。

彼は、“スピリット”という言葉で表現した。

ならば、である。

彼自身のスピリットは『DaB』というサロンにどう息づいているのだろうか。

 

「DaBは、もともとそんなに大人ばかりが集まる空間をめざしているわけじゃないんで。ぼく自身がターゲットにしている人たちは、やっぱり可能性のある人だから。もちろんそれは年齢とかじゃなくて、そういうスピリット。ようするに若さを持ってる人。つまり変われる可能性を持ってる人。洗練されることの追求よりも、その前のかたちにいろんな要素を与えていく。その方がDabのコンセプトとしては合ってる。で、そういういろんなものを経験して当然、大人になっていくわけだし。その前の段階でいろんなものを体験、経験させるということが、大事にしてることですね」

 

つまり粗削りの魅力……。

 

「ウン。本人はもちろん若いから粗削りで、そこにぼくたちのプロとしての知識と経験を加えていく。ぼくたちはプロとして、洗練されたものも知ってるし、美しいものも知ってる。その中で許せる範囲の何かを伝えていく。大きい意味で考えるとデザインの、クリエイションのもとのコンセプトはそこにあるんです。だからキュート感というのはDaBとしては外せないし、キュート感があってクールであること。つまり可愛くても、プリティではなくて、世の中にひとつキラッと光るような存在をつくっていくこと。それを言葉でいえばカッコイイということになるわけだけれども。だから可愛らしくて、かっこよくというのが要素として在る。可愛いだけでも許せないし、カッコイイだけでも許せない。ちょっとゴージャスだったり。エレガントになると嫌いで、やっぱりそこに可愛らしさというのがどこかにないと、ぼく自身も好みのヘアじゃないし、好みの人じゃないというニュアンスかな」

 

彼が約20年間闘ってきた成果が、その言葉にあった。

たとえば彼が駆け出しのころ、

つまり映画のシーンやパリの街角で見かけた女性に心を奪われ、そのイメージを追いつづけていたころ、

果たしてこのような言葉で自分の好みを表現できただろうか。

 

彼は、自らの好みというイメージを、言葉にできるほどに洗練して日本に帰ってきた。

その理由もまた、彼は語っていた。

 

「世の中にひとつキラッと光るような存在をつくっていくこと」

 

彼は、“作品”の世界を飛び出したのではないだろうか。

写真というメディアに定着する作品を超えて、現実の街そのものを“作品”にしようと考えたのではないのか。

東京の代官山というステージから自分の“作品”を、街に解き放つ日々。

それは“モノをつくること”をめざして美容師という職業を選んだ男の、まさしく至福の日々であるに違いない。

 

「いや、今でも撮影の仕事は続けていますよ。でも、それは海外でしかやらない。日本ではサロンだけ。毎月3週が日本、1週間は海外。日本で撮影の仕事が来ても、基本的に自分は出ない、行かない、やらない。サロンでお客さんと対峙する。なぜならそれが自分にとっては一番楽しいから」

 

>共創。–Collaboration-

 

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