ZACC 高橋和義『終わり』との格闘。【GENERATION】雑誌リクエストQJ2005年7月号より
雑誌「リクエストQJ」創刊以来の看板企画「GENERATION(ジェネレーション)」。
昭和〜平成〜令和と激動の美容業界において、その一時代を築いてきた美容師さんを深堀りしたロングインタビューです。
300回以上続いた連載の中から、時を経た今もなお、美容師さんにぜひ読んでいただきたいストーリーをピックアップしていきます。
今回は2005年7月号から、『ZACC』高橋和義さんのインタビューをご紹介。 いつの時代も業界の第一線を走るZACC。今回のインタビューは、2005年当時の高橋さんのトップランナーとして走り続けるからこそ感じる、サロンや美容に対する想いが率直に語られています。ぜひご覧ください。
ライター:岡 高志
<プロフィール>
株式会社ZACC(ザック)代表
高橋和義(たかはし かずよし)
専門学校を卒業後、都内サロンへ就職。1988年ZACCをオープン。現在に至るまで数々のタレントや著名人を担当し精力的にサロンワークを続ける。一方で外部活動にもエネルギッシュに取り組み、コレクションのヘアメイクやコンテスト審査員を多数担当。2002年〜2007年にはジャックデサンジュのアートディレクターを兼務。ヘアカタログ、メイク本の著書も出版。またプロダクト開発にも定評があり、1991年に発売されたオリジナルシャンプー、トリートメントは30年以上に渡り開発を継続。2002年には業界初の中性パーマを開発し、その後もオリジナルスタイリング剤など顧客ニーズに合わせた新作を送り出している。
人には「旬」がある。
だれにでも「旬」がある。
人はだれでも歩むべき道を見つけ、
最初はゆっくりと歩き始める。
青年になると、その道を駆ける。懸命に駆ける。
ふと気づくと、周囲にも同様の道を駆ける若者がいる。
負けない。負けたくない。
トップに立つ。周りを見る。
ついて来る。振り切る。
ふたたび前を見据える。
先頭を走ることの快感。
だが、それがやがて重圧へと変わる。
走り続けることの重圧。
だけど止まることはできない。
疲労。困憊。
だけど止まるわけにはいかない。
だれかが自分を抜き去るまでは、「旬」。
何歳になろうと、「旬」。
ゴールが来るまでは走る。
終わりを告げられるまでは、闘う。
だけどいつの間にか、自分の手のひらにバトン。
引き継ぐべき人たちは、どこにいる?
彼らはこのスピードを、そのまま維持できるか。
それとも加速できるのか。
そう思いながらも、走る。
バトンを手にしたまま、走る。走る。走る。
高橋和義はどこまでも、トップスピードで走りつづける。
エレベーターを降りると、そこはカフェだった。
東京・表参道。青山通りとの交差点の角。通称・美容室ビルの2階。
上には仲厚の『KINGDOM』。
地階には古里オサム率いる『of hair』。
3階と4階に高橋和義の『ZACC』である。
まさに“美容室ビル”。
その2階に、細長いスペースのカフェがあった。
それが『ZACC』の社員食堂だと聞くと、だれもが目を丸くする。
美容室に社員食堂。しかも青山。表参道の角。
窓からは青山通りを挟んで、みずほ銀行や交番が見える。
そんな一等地に、“社員食堂”なのである。
美容室経営者がカフェも経営する。
そんな話はいくつかある。
趣味が高じてバーを経営している美容室オーナーもいる。
だけど社員食堂をつくった経営者を、私は知らない。
『ZACC』代表・高橋和義。
約6年ぶりに会った彼は、相変わらず飄々としていた。
「基本的には朝11時から午後2時までがスタッフのための社員食堂。だけど社員食堂だけではもったいないんで、2時から8時までをお客さまに開放しましょう、と」
つまり『ZACC』のお客さま専用のカフェだ、と。
「そうですね。ただ、ここで出す飲み物は全部無料なんです」
あ然とする。
飲み物は無料‥‥?
「ほんとは半分くらいもらおうか、って話もあったんですけど、中途半端な料金取るのもね、と言ってやめちゃったんですよ」
いや、やめちゃった、って。家賃もかかってるわけでしょう?
「かかってますね。大きいですよね」
いや、大きいでしょう。
「人件費もかかりますからねぇ」
あ、専従スタッフがいるわけだ。
「3人。ひとりは調理師免許を持っているから、ちゃんと保健所に届けて営業許可をもらってるんですよ」
調理師免許‥‥。
「サロン内でお茶を出したり、コーヒーを出したりしている美容室がけっこうあると思うんですけど、保健所が入るとNGなんですよ。一度、その指導を受けたことがあって。やるならちゃんと調理師にお願いしよう、と」
「しかもね、お客さまというのはサロンを出たあと、この界隈のカフェに足を運んで、お茶を飲みながらお化粧直しをするんですね。だったらそのままここに来ていただいて、お化粧直しをしてもらおう、と」
そのために、カフェには鏡にメイク道具、各種化粧品が揃っている。お客はそれらを自由に使える。
「ハーブティーなんかはけっこうコストがかかってるんで、たぶんこの界隈だと800円とっても経営は破綻すると思うんですけど」
なのに無料‥‥。
「ケーキだけは、ちょっといただきます。ある人につくってもらっていて、かなりの原価かかってますから」
それでもチーズケーキが250円。チョコレートケーキが200円である。そこへさらに、社員食堂としての機能が加わる。
「ご飯とみそ汁はおかわり自由で日替わりメニュー400円。1年経ちますけど、調理スタッフがホントに頑張ってくれて、今まで1度も同じメニューだったことはない」
うっ。それはすごい。
「食材はオーガニック。お米は玄米。お味噌は九州から取り寄せています」
どうやら有名なオーガニック・レストラン『泥武士』と提携して、熊本から直接、新鮮で安全な食材を仕入れているらしい。
「で、ランチが終わると、今度は200円くらいでおにぎりと、からあげとかを用意してくれる。それは夜食とか、ちょっと手が空いてるときに食べられる。だから600円あれば、2食は食べられる」
スタッフにとっては天国。だが、なぜそんな面倒なことを始めたのだろう。
「新人が入ってきますよね。けっこう頑張るコに限って、1年目で身体を壊すコが多いんですよ。その原因はやっぱり食生活なんです」
「それまで親のもとでいろんなものを食べてきて。お腹が空いても冷蔵庫を開ければなにかしら食べられる物がある。そんな生活をしてきた人が東京に1人で出てくる。しかもウチに入って驚異的に働くようになる。そうなると絶対、インスタント食品に頼る。身体がもつはずがない」
「それは起こるべくして起きたトラブル。でも、だからと言ってインスタント食品を食べるのやめなさい、おにぎりでもいいから買おうよ、って言ってもスタッフはなかなか動かない。だったら給料に食事手当をつけようか。そう思ったりもしました。だけどね、給料に上乗せしたところで、それが食事代に回るとは思えない。使いたい分野はたくさんあるから、足りない分はみんな食事代から削ってしまう」
確かに。だけどそれで社員食堂とは。
「まあ、ぼくは前から偏屈なことやったり、よそに無いモノはやっておきたいと思う性格だったりするじゃないですか。美容師さんの仕事って、ただでさえハードだし、寝る時間も少ない。食べ物も悪い。だけどホントによく働く、よく遊ぶ。身体壊すの当然ですよね。どこか変えられることって言うと、食事が一番手っ取り早い。とりあえず食事だけでもちゃんとしておけば、あとはある程度の睡眠時間があれば、若いころは成り立つのかなっていう。それが一番の理由ですね」
そうやって社員食堂を稼働させて約1年。身体を壊すどころか、風邪をひく人も少なくなったという。
だれが見ても日本一のサロンを
『ZACC』は進化していた。
このインタビュー記事『ジェネレーション』を、単行本にするときに会ってから6年。高橋和義はさらに進化していた。
「あのころ、美容師ブームというのはやっぱり浮き足立ってた。それはどうしてもあったと思いますね」
彼はぽつりと言った。
1999年。日本は空前の美容師ブーム。「カリスマ美容師」という言葉が、一般マスコミをも席巻していた。
当然、高橋和義もその一角に列せられ、『ZACC』もまた全国的な知名度を一気に獲得したのであった。
「スタッフのなかに、どうしても調子に乗っちゃった人っていうのは出てきましたよね。ZACCでやってる美容師です、と言えば注目されたりしてましたから。そういうときにトラブルが浮き彫りになりますね」
トラブル‥‥。
「トラブルというか、あぁ、やっぱり勉強不足だったんだなぁ、と。あんなに期待してお店に来てくれている人たちを、残せなかったんじゃないかな、という時期がありましたね」
期待して来ているお客さんを?
「お客さんの要望に応えきれていなかった。努力の日々からちょっと離れてしまって、伸び悩んだコがいました」
『ZACC』でも、そういう事実があった。それがあのブームだった。
「ちゃんとスタンスを変えずに要望に応えられていたスタッフは何人も独立させました。その後の世代が頑張っていけばいいと思ったから。だけどその頑張るべき世代の層に、ブームがまともにぶつかってきた」
すでに『ZACC』から独立したスタッフがいる‥‥。
「率先してZACCイズムを持った人たちは独立してます。原宿だったり、恵比寿だったり、青山にもいますね」
近い。
「となりでもいいよ、と(笑)。それでも顧客データは全部持たせて独立させてますから」
えっ。顧客データを持たせる?
「当時はまだ個人情報保護法もなかったですから」
そう言えば6年前、彼はこう言っていた。
「ホントに誰が見ても日本一と言ってくれるようなサロン。それがスタッフの夢だったら、それをかなえてあげたい。そこで頑張ってる人たちが外へ出ていって、ヒットサロンをつくれないわけがないと思うんですよ。ここからどんどん独立していって、ヒットサロンをつくって、その全員がZACC出身だ、と。そういうことで枠が広がっていくことが夢なんです」
6年前は、「すぐにでも8人のスタッフをデビューさせたい」と言っていた。
ただ、「いまデビューさせると、お店がお客さんでいっぱいになってパンクする」んだ、と。
だからその翌年、彼は道一本隔てたビルに2店舗目をオープン。
さらに翌年の2001年に、同じビル内に3店舗目をオープンした。
そうしてデビューしたスタッフと同時に、彼は先輩たちを独立させたのである。
彼と一緒に『ZACC』イズムをつくってきたスタッフたちを、次々と独立させた。一人ひとりに顧客データを渡して。