ハリウッドセレブも手がけたartifata CHIKAの『東京が世界一』の意味とは
「第一次 カリスマ美容師ブーム」の時代からずっと、日本の美容業界のトップをひた走り、牽引してきたartifataのCHIKAさんこと親保宏(ちかやすひろ)さん。
近年では、ハリウッドやNYファッションウィークなどで世界のそうそうたるセレブリティのヘアメイクを担当するなど、その進化は目を見張るばかり。海外での貴重な経験を含めたCHIKAさんのこれまでの軌跡、そしてこれからの夢について語っていただきました。
はじまりは1本のリーゼント用のコテだった
—CHIKAさんといえば、浜崎あゆみさんをはじめ、数多くの女優やタレントのヘアカットを担当されているカリスマ中のカリスマですが、美容師を目指すことになった、そのはじまりの物語を教えてください。
「小さい頃から髪の毛には執着があって、自分のヘアスタイルにも時間をかけていたし、友達のスタイリングもしてあげていたんです。アレンジの仕方なんて学んだことなかったのですが、男の子にはリーゼント用のコテで、女の子にはロールブラシを使ってスタイリングしてあげていました。それは学校で評判になるくらいでした。髪を触ることが好きで、喜んでもらうことが嬉しかったですね。
ただ、直接的なきっかけになったのは、高校2年の進学決定の時期。勉強も好きじゃないので進学もしたくないし、就職もすぐにしたいわけでもない。髪をさわるのが好きだし、ま、とりあえず、美容専門学校にでも1年行っておこうか。そんな思い付きから現在にいたります。当時の美容学校は1年制の時代でした」
—そこでできた「楽しみ」が美容師そのものだったんですね。
「美容学校に入学すると、生活費と学費を自分で稼ぐ必要があったので、毎日アルバイトが忙しくて…。無遅刻無欠席ではあったけど、授業はほとんど居眠りの毎日(笑)。そんな1年はあっという間に過ぎ、先生からの推薦でどんなサロンかも知らないままヘアーディメンションに入社して…という感じで、その頃、本当の意味では、まだ美容師の楽しさに目覚めてなかったのでしょうね。美容学校の友人との時間は楽しかったですね」
—当時のヘアーディメンションは、「松田聖子さんの聖子ちゃんカット」で一世を風靡していた超人気サロンでしたよね。その流れに乗って、CHIKAさんも一気にスターダムに上がっていったのでしょうか?
「いえいえ、そんなにうまくはいかないですよ(笑)。ただ、僕は、ほかの同期よりもスタイリストになるのは早かったんです。元来、負けず嫌いな性格なので、ほかの人に負けるのが嫌で、みんなが帰ったあとも終電まで残って、ひたすら練習していました。
無事デビューして、売上100万円まで達成できたところまではよかったのですが、それ以上の売上がどうにも出せない。どうしてだろう? なにが悪いんだろう? その答えにたどり着いたときから、徐々にブレイクしていきましたね」
—その答えというのは?
「それまでの僕は、流行とか、ヘアデザインとかが先行していて、自分が習ってきたカットやデザインをその人に“のせる”ことしか考えていなかった。美容師がお客さまの希望、顔、骨格、髪質、悩みを無視して“独りよがりのデザインを、のせる”だけでは意味がなくて、本当にお客さまに似合っていて、お客さま本人が喜べるスタイルをつくることが重要なのだと気づいたということです。
それからは、徐々に口コミで評判が広がり、雑誌の取材もいただくようになっていきました。美容師が楽しくなってきた瞬間です」