ANTI小松利幸はパーマで世界を変える!? 「人生もデザインしちゃおうよ!」と語るパーマの魔術師の熱い想い
今なお美容界のトップを走り続けるANTI小松利幸さん。円錐ロッドの生みの親であり、『パーマの魔術師』とも呼ばれる小松さん。
パーマにこだわるようになった理由や円錐ロッドの誕生秘話、さらに小松さんが新たに手がける「髪質が良くなるパーマのかけ方理論」のことなども、どの媒体にも先駆けてお話して頂きました。
『パーマの魔術師』になったきっかけは、銅鑼(どら)の音!?
-小松さんが美容師になったきっかけを教えていただけますか?
「ずいぶん昔のことで忘れちゃったなぁ(笑)。子どものころから絵を描いたり、ものをつくったりすることが好きだったので、本当は陶芸家になりたかったんですよ。でも、高校生のときに友人の頭をふざけてカットしていて、美容師もおもしろいなと思うようになりました。
『どうせ坊主にするんだからいいでしょ』と、栗やパイナップルみたいな形にしてみたり、タトゥーみたいに髪で文字をつくってみたり…。造形に近いなと思ったんですよね。ただ(美容の世界で)25歳までに自分のやりたいことができなかったら、やっぱり陶芸家になろうと思っていました」
-「パーマといえば小松さん、小松さんといえばパーマ」というイメージですが、美容師になった当初から、パーマにはこだわりがあったのでしょうか?
「いえいえ、美容学校を出たてのときは、まだ物事を浅くしか考えられなかったから、『(パーマなんて)かけりゃいい、巻けばいい』くらいにしか思っていなかったんですよ。
そんな僕がパーマにこだわりはじめたきっかけは、原宿のサロンに就職した時のオーナーがパーマというか美容全般にとてもこだわりがある人で、洋服とかも『なかったら作っちゃえ』と本当に自分で作っちゃうような人だったんです。他の美容師さんと考えている次元が違うというか、スケールの大きな人で。その師匠には『物事を深く考えることによって、いろいろなことがさらに楽しくなったり、理解できるようになったりする』ということを教えてもらいました。
そのことを教えてもらったとき、あまりにもショックで頭の中で銅鑼(ドラ)が鳴りました。ガーンって(笑)。そんな師匠に少しでも近づきたいと思ったのが、パーマにこだわりはじめたきっかけですね」