父は、“継父”だった。
1940年。母は再婚した。そのニュースをヴィダルは疎開先で知った。12歳のときだった。
実の父は、ヴィダルが3歳のときに出て行った。母は家賃が払えなくなり、ヴィダルと生まれたばかりの弟・アイヴァーとともに家を追い出された。
ヴィダルは孤児院に預けられた。5年ほどおとなしく暮らしたが、10歳のときに孤児院を脱走。その足で、父のもとへ向かったのだった。
7年ぶりに会った父は冷たかった。ヴィダルに感情のない視線を向け、クルマに乗せて無言で孤児院へと送り返した。その後、父とは一度も会っていない。
ヴィダルは父親を知らずに育った。父親がいないことが日常だった。父親なんかいらないとさえ思っていた。なのに母は再婚した。相手はネイサン・ゴールドバーグという名前だという。つまり母は、ゴールドバーグ夫人となったのだ。
しばらくすると、疎開先の村に母がやってきた。ゴールドバーグ氏と一緒に。
紹介やあいさつのためではなかった。ヴィダルと、弟のアイヴァーとともに暮らすためだった。
「家族4人で暮らしたほうがいいと思うの」
母は言った。ヴィダルは目をそらせた。
〔冗談じゃない。知らない人と一緒に暮らせるものか〕
ヴィダルはそう思った。
しかし、母は着々と準備を進める。農家から小さな家を借りる交渉をして、成立させてしまうのであった。
ネイサンG。
ヴィダルは、母の再婚相手をそう呼ぶことにした。Gは、ゴールドバーグの頭文字だ。
〔パパなんて呼ばない。絶対に。だってネイサンGは、いきなりぼくらの生活に入り込んできた見知らぬ男だ〕
感情が先行していた。アイヴァーも同じだ。ふたりはよそよそしい態度をとりつづけた。ただ、あいさつや、かけられる言葉を無視するわけではない。簡単に答える。だがそれだけだ。必要最小限。それ以上の会話には進まない。
ヴィダルにはわかっていた。こんな態度がいつまでも許されるわけではないことを。いつか、ネイサンGを父として認めなければならない。そうしないとママが困るだろう。それはわかっている。だけどできなかった。“父”とどう付き合えばいいのか、わからないのだ。“父”のいる家庭でどう振る舞えばいいのか、わからないのだ。
そんなヴィダルたち兄弟のことを、ネイサンGはやさしく見守っていた。
ネイサンは、優秀な職人だった。ロンドンでは洋服の仕立て工場で働くミシン工のリーダー。部下は12人もいたという。しかしネイサンはその職を辞した。母と結婚するために。母はどうしても疎開先に移り、ヴィダルたちと一緒に暮らしたかったのだ。ネイサンは母の願いに快く応じたのだという。
疎開先の村に、仕立て工場はなかった。住む家が決まるとネイサンはすぐに仕事探しに出かけた。しかし求人などほとんどない。ようやく見つけたのはクリーニング屋の仕事だった。未体験の仕事に、ネイサンは挑んだ。厳しい仕事で、しかも給料は安かった。それでもネイサンは感謝していた。見つけた仕事のことを嬉々としてヴィダルたち“家族”に報告するのだった。
洋服の仕立てをしていたからか、ネイサンのスーツ姿には存在感があった。がっしりとした体格を鍛えたのはボクシング。若いころはセミプロのボクサーだったという。その体格をスーツで包み、トップポケットにはネクタイと同じ柄のハンカチーフがのぞく。さらに中折れのトリルビー帽を少し斜めに傾けてかぶる。田舎の村で、そんなオシャレな男性は見当たらなかった。
ネイサンは、仕事を終えて帰宅すると必ず靴を脱ぐ。室内用のスリッパに履き替えるのだ。そうしてお気に入りの肘掛け椅子に座り、レコードをかける。
オペラであった。ネイサンはオペラが大好きだった。なかでも偉大なテナー歌手の歌声を好んだ。イタリアが誇るベニャミーノ・ジーリやエンリコ・カルーソーの朗々たる歌声が、部屋中に響いた。
ヴィダルは当初、オペラに戸惑った。それまで聞いたことのない音楽だったからだ。しかし、毎日聴いていると少しずつなれてくる。
またネイサンは読書家でもあった。小説も読むが、蔵書の多くは哲学書であった。
ヴィダルは次第に圧倒されていった。ネイサンGの存在感に。オシャレに。知的な雰囲気に。そして不慣れな仕事にも家族のために一生懸命取り組む姿勢に。
やがてヴィダルはネイサンを“父”として認めるようになっていく。存在を認めるだけではない。いつしか尊敬の念さえ抱くようになっていくのであった。
「Dad」
〈オヤジ〉
いつの間にかヴィダルは、ネイサンのことをそう呼ぶようになっていた。
土曜日は、“Dad”と出かける日だった。それが毎週の楽しみになっていく。
“Dad”が午前中の仕事を終えて帰宅すると、まずみんなで昼食を摂る。そこから男たちの時間が始まる。ヴィダルとアイヴァー、そしてネイサンはバスに乗って町へと向かう。そこには2軒の映画館があるのだ。
ネイサンは、“息子”たちにまず映画を教えた。つづいて書店である。ネイサンは“息子”たちを必ず書店に連れて行った。一緒に本棚の間を歩きながら、こんなことを語りかけるのだった。
「本を開いてごらん。そして匂いをかぐんだ。君たちもいつかこれを読める歳になる。そのとき、本からはたくさんのメッセージを受け取れるようになる。それまでは、まず表紙の美しさを楽しみなさい。それから、本の匂いを覚えるんだ」
ネイサンにはあたらしい本を買う余裕はなかった。クリーニングの仕事で得られる給料は週に3ポンド。ぜいたくなどできない。唯一、映画を観ることだけが例外だった。
その映画が、10代前半のヴィダルの感性を磨いた。書店は、知的好奇心を育てた。14歳の誕生日に学校生活を終えたヴィダルだったが、“知”への渇望を忘れることはなかった。ヴィダルはその後、独学でさまざまな知識を蓄えていく。たとえば数学。あるいは物理学。哲学。建築。アート……。そのひとつひとつが美容師として活躍する礎となっていった。一方、弟のアイヴァーは抜きん出た成績優秀者となり、進学への道が開かれていく。それらの基礎はすべて、ネイサンがつくってくれたのだった。
“ダコタ機”は、ガラガラと大きな音をたてながらロンドンへと向かっていた。その機内で、ヴィダルは“Dad”のことを考えていた。さまざまな思い出がよみがえる。心臓発作。“Dad”は死んでしまうのだろうか。
生きていた。“Dad”はすでに病院から自宅に戻り、みんなと一緒にヴィダルを迎えてくれた。車椅子に乗った“Dad”の笑顔に、ヴィダルは崩れ落ちそうになった。
「よかった。よかった。ほんとによかった」
その言葉しか出てこない。
母はヴィダルに抱きつき、泣きじゃくった。“Dad”はカフカ(※)の寓話『メシアの到来』について語る。
「メシア(救世主)は現れる。到来の日より1日遅れてやってくる」
どうやらヴィダルを救世主にたとえたようだった。アイヴァーが抱きついてくる。その身体が離れた瞬間が、合図だった。みんなが聞きたがる。イスラエルの奇跡的な勝利のことを。
ヴィダルは語った。見たことを。体験したことを。訓練のこと。コリンのこと。カルメリ隊長のこと。作戦のこと。奇襲のこと。エリアフのこと以外はすべて語った。サラの話もしなかった。
話し終えたとき、母が言った。
「で、ヴィダリコ。あなたのハサミはちゃんと包んでしまってあるわよ」
美容の仕事を探し始めた。
世界を変える。その意識だけはしっかりと肚のなかに居座っている。しかし、どうやって変えるのか。どうやったら変えられるのか。じつは見当もつかなかった。
いくつものサロンを訪ねた。スタートはもちろんメイフェアである。今でもそこはロンドンの美容の中心地だ。しかし、スタイリストを募集しているサロンは見つからない。どこも見習いの募集だった。そこでヴィダルは地域を少し拡げてみる。北へ。ボンド・ストリート。ベイカー・ストリート。見つからない。そのとなりエッジウエア・ロード。あった。募集の貼り紙。サロン名は『ロメインズ』。
共同経営者のひとり、アルバートが面接をしてくれた。
「サスーンと申します。ヴィダル・サスーンです」
「うん。で、サスーン君、きみは見習いで応募してきたんだね」
「いえ、ちがいます。私はスタイリストです。経験もあります」
「ほう。どんな経験かね。見たところ君はまだ若いように見えるが」
「いや、私はもう21歳です。14歳からイーストエンドのアドルフ・コーエン氏のもとで下積みをして、スタイリストになりました。その後はナイツブリッジのヘンリで経験を積んでいます」
「ヘンリ。あぁ、あのハロッズのとなりのサロンだね」
「はい。ご存じなんですか」
「ん。まぁね。昔の知り合いだよ」
「そうでしたか」
「ミスター・ヘンリは相変わらずかね」
「えっ」
「相変わらず変人かね」
そう言って、アルバートは笑っている。
「はい。いや、その……」
「まぁいい。辞めた理由は聞かないでおこう。どうせこう言われたんだろう。おまえなんかハロッズへ行け、とね」
「あ」
ヴィダルはぽかんと口を開けてアルバートを見つめた。
「くっくっくっ」
アルバートは楽しそうに笑うと、こうつづけた。
「わかった。きみがなにをやらかしたか知らんが、月曜日から来てくれ」
合格だった。
アルバートは、変わった人だった。ミスター・ヘンリとはちがうが、変人であることは確かだった。毎日、サロンの地下にこもって“発明”に取り組むのだ。“発明”するのは美容の器具やツールだけではない。アルバートの最高傑作は『ジャイロ』だった。飛行機に使う『ジャイロ』。それは機体の傾きを表示する、飛行機にとって最重要の計器のひとつであった。
『ジャイロ』は多額の収入をもたらしていた。その収入を、アルバートはサロンにつぎ込んでいた。あるときは古い葬儀屋を買い取り、サロンに変貌させた。ヘアカラー剤などのストックルームとして使われる部屋は、かつての遺体安置所だった。
マネージャーのレスリーは、ヨーロッパ戦線で捕虜となり、イタリアの捕虜収容所に入っていた男である。彼はトップスタイリストのコニーと一緒に、ヘアデザインの研究を重ねていた。ふたりであたらしいデザインのためのテクニカル・メソッドを開発しているのだ。しかも毎晩、遅くまで。まるでふたりはサロンに住み込んでいるのではないかと思うほど熱心に研究に取り組んでいた。
そのふたりに、ヴィダルは大いに刺激を受けた。
「いいかい、ヴィダル」
レスリーはいつもそう声をかける。そこから、彼の“講義”が始まるのだ。
「シンメトリーという概念はわかるよね」
そんな話が始まると、ヴィダルはいつもわくわくする。
「人間は、左右対称の動物だ。そうだろ?」
「はい。確かにそうです」
「人間だけじゃない。動物はほとんどが左右対称になっている」
「はぁ。そういえば」
「なぜだかわかるかい?」
「いや、どうしてでしょう」
「都合がいいからさ」
「つごう、ですか」
「たとえば歩くという運動を考えてみよう」
「……」
「左右対称じゃないと、不都合が生じる。そうだろ?」
「はい。確かに」
「動物だって同じだ。虎もヒョウも、獲物に向かって走ろうと思うと左右対称のほうが都合がいい」
「なるほど」
「ウサギもネズミも、逃げようと思ったらシンメトリーのほうが都合がいい」
「ですね」
「もうひとつ。大昔の人間のことを考えてごらん」
「大昔……。いつごろでしょう」
「そうだな。何万年も前だ。そのころ人間は獣の襲撃にいつもおびえていた」
「はい」
「とくに夜。暗闇のなかに光る点がふたつ見えたとする。その瞬間、人間は獣の目だと理解する。直観的にね」
「あぁ、そうでしょうね」
「つまり人間には、左右対称の概念が刷り込まれているということなんだ。もちろん自分の身体を見てもシンメトリーだしね」
「そういえば街のなかにもシンメトリーがたくさんありますね。建物とか、噴水とか、自動車だってシンメトリー」
「それは機能的だという側面がひとつ。それからつくりやすいという側面もある。でもぼくら美容師にとって重要なのは、それが美しいということなんだ」
「あぁ、そうです。シンメトリーは美しい」
「人間はシンメトリーなものを美しいと感じるんだ。人類誕生からの長い長い歴史を経て、そうなってきたんだ。だけど、どうだ。ヘアスタイルはシンメトリーのほうが美しいか?」
「はい。きれいです。えっ、いや、どうだろう」
「美しい。きれいだ。それでいい。だけどヘアは顔の上にある。顔はシンメトリーだよな。で、その上のヘアスタイルもシンメトリーだったら」
「なんか、おもしろくない」
「そうだろ? じゃあどうする?」
「ずらします」
「そう。でも基本はあくまでもシンメトリーだ。そこからどうずらすか。それが美容師の腕の見せ所なんだ」
「そうか。今まで、そんなことは考えたこともなかった」
「ただ、なんとなく美しいと思っていただろ?」
「美しいと思うヘアスタイルを提供してました」
「それは感性だ。うまい美容師はそこが優れている。ただ、ここが重要なんだけど、基本を知っておいたほうがいいんだ。たとえばシンメトリー。それは基本中の基本なんだ。そこを理解したうえで、ずらす。崩す。外す。そこが美容師のおもしろさであって、同時にむずかしさなんだよ」
それがレスリーの講義だった。ヴィダルはその講義が大好きだった。レスリーは“美”という概念の基盤をロジカルに語ってくれた。その講義が、ヴィダルの基礎をつくっていく。
そしてもうひとり、『ロメインズ』には“先生”がいた。ジェラルド・ロンドン。
スタッフもお客も、彼のことを尊敬の念を込めてこう呼んだ。
「シニヨンの王様」と。
つづく
☆参考文献
『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS
『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店
『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著 みすず書房
『イスラエル建国の歴史物語』河合一充著 ミルトス
『アラブとイスラエル』高橋和夫著 講談社現代新書
『私家版・ユダヤ文化論』内田樹著 文春新書
『アメリカのユダヤ人迫害史』佐藤唯行著 集英社新書
『ヴェニスの商人』ウィリアム・シェイクスピア著 福田恆存訳 新潮文庫
『物語 エルサレムの歴史』笈川博一著 中公新書
『美の幾何学』伏見康治・安野光雅・中村義作著 早川書房