美容師小説

美容師小説

-第14話-­【1946年 岐阜】 トオルはアメリカを憎んでいた。

 

 校庭の砂は、白く輝いていた。

 岐阜の国民学校。1946年1月。大野芳男は12歳になっていた。

 

 真冬の太陽は、すこし斜めから世界を照らす。だが校庭に、校舎の影がのびることはなかった。校舎は空襲で焼け落ち、あとには急ごしらえのバラックが建つばかりだったのだ。壁と屋根があるだけの粗末な小屋。黒板なんか1枚もなかった。

 

 それでも、日本は学校を再開した。

 教科書をあたらしく作るには時間も予算もなかった。そしてなにより紙がなかった。そこでバラックの教室では、まず戦中の教科書に書かれた言葉に墨を塗る。そこから授業が始まった。

 

 たとえば《大日本帝国》。

 戦前から日本は、自国のことを大日本帝国と呼んだ。だから陸軍は、大日本帝国陸軍であり、海軍は大日本帝国海軍。それは明治時代からつづく呼称であった。

 

 国民学校の生徒たちは墨を摺り、筆に含ませると教科書の文字を塗りつぶした。

 《大日本帝国》という言葉を見つけると、《大》と《帝》を塗りつぶす。すると《●日本●国》となる。

 

 先生は言った。

 「日本は生まれ変わる。この墨塗りは進駐軍の指導である」

 

 は?

 大野は訝った。

 しんちゅうぐん……?

 (また大人たちは言葉を言い換えている。進駐軍じゃないだろ。占領軍だろ。日本は占領されているんだろ。アメリカが《進駐》してきたのではない。アメリカに《占領》されてるんだろ。それに《指導》だと。ちがうだろ。《命令》だろ。なぜ、それをごまかそうとする)

 

 サイパンの《玉砕》もそうだった。ほんとうは《全滅》なのに、《玉砕》。

 (まやかしだ。みんなまやかしだ)

 

大野は授業に興味を持てなかった。先生たちの話も、信用できなかった。だってつい半年前まで先生たちは言っていたのだ。

 「一人百殺」。

 敵を百人殺して、おまえも死ね。

 それから「鬼畜米英」。

 そう言っていた同じ口から、「アメリカさん」である。「シンチュウグン」である。「シドウ」である。

 

 大野は休み時間になると弁当の箸を1本、右手に持って地面に字を書いた。ひとりで、字を書いた。ほんとうは紙に書きたいのだが、紙はなかった。かろうじて手に入るのは藁(わら)半紙。しかもそれはまさに藁の茎が縦横に走るゴツゴツした紙だった。

 

 This is a pen.

 大野は地面に書きながら、ぶつぶつと口のなかで読み上げる。

 「ディス、イズ、ア、ペン」

 「これは1本の筆です」

 

 I am a boy.

 「アイ、アム、ア、ボーイ」

 「私はひとりの少年です」

 

 他の生徒たちは校庭を走り回って遊んでいた。

 校庭の真ん中には大きな銀杏の木が、堂々と屹立していた。あのグラマンの機銃掃射から大野の命を救った銀杏だった。

 

 

 

 敗戦は、突然のことだった。

 前年の8月15日、天皇陛下がラジオ放送で『ポツダム宣言』を受諾したことを告げたのだ。

 ポツダム宣言はこう述べていた。

 

—————————————————————————————————–

 日本が二度と戦争ができない国になるまで、連合国は日本を占領する。

 日本の人民を欺き、世界征服に打って出るという過ちを犯した者たちの権力・勢力は永久に除去されなければならない。

—————————————————————————————————–

 

 《占領》である。《除去》である。

 事実、日本には《占領軍》がやってきた。完全武装の米兵が7〜8人が乗り込んだ大型のジープ。全員が自動小銃を外側に向けて構えている。いつでも撃てるように構えている。そんなジープが岐阜にもやってきた。何台も、何台もやってきた。際限なく、やってきた。

 その光景を見た瞬間、大野は思ったのだった。

 「英語、勉強しなきゃ」と。

 

 大人たちは囁き合っていた。「日本はアメリカの属国になる」と。

 “ゾッコク”って、なんだ。占領の次はゾッコク……。

 大野は意味がわからなかった。そこで父に聞いてみる。

 「アメリカに支配された国になるということだな」

 (そんなの嫌だ)。思ったが、口には出さなかった。日本は負けたのだ。戦争に、負けたのだ。ポツダム宣言を受け入れたのだ。

 

 大人たちは、その現実をなかなか受け入れられないでいた。だが子どもたちはちがった。いちはやく時代に適応した。大野はその先端を走っていた。

「英語、勉強しなきゃ」

 

 

 学校では英語の授業も始まっていた。先生は、敗戦まで使うことが許されなかった言葉を、大野たち生徒に教えた。だが、先生も英語のことはよくわからない。

 

 This is a pen.

 わら半紙に大きく書いた英語を見せて、読み上げるのだ。

 「ヂィス、イズ、ア、ペン」

 

 完全なるカタカナ発音だった。だけど生徒たちは、それが英語だと信じた。

 「これは1本の筆です」

 先生が教える日本語訳を聞きながら、大野は思った。

 (なんともわかりにくい言い方をするもんだなぁ。1本の筆です? 見りゃ1本だとわかるだろう。なのになぜ、わざわざ「1本の」というんだ)

 わからなかった。わからなかったが、覚えようとした。校庭で書いていたのは、授業を復習するというより覚えるためだ。英語を覚える。頭に叩き込む。使えるようになる。しゃべれるようになる。そうしないと、これからは生き残れない。なにしろ日本はアメリカのゾッコクになるんだから。

 

 そう思いながら、大野は次の英語を書き始めた。

 

 My name is

 

 ガッ。右手が蹴り上げられた。箸が飛んでいく。裸足の少年が、息を荒くしながら大野を見下ろしていた。

 

 トオルだった。

 同じ組のトオル。

 

 あっけにとられていると、トオルは大野が書いた英語を足の裏でゴシゴシと消し始める。

 「なにすんだよ」

 大野はようやく口を開いた。

 「うるせぇ」

 トオルが吠えた。

 大野はトオルの足首をつかもうとする。トオルはすばやい身のこなしで足首を逃がす。

 ガシッ。

 再びトオルは大野の手を蹴り上げた。

 「英語なんて勉強すんな。鬼畜の言葉じゃねぇか」

 立ち上がった大野の襟首を、トオルがつかまえてぐいぐいと押してきた。

 大野はようやく逆襲に転じる。トオルの両手をつかみ、足払いをかける。

 ドッ。

 倒れたトオルの上に、大野は馬乗りになった。今度は大野がトオルの襟首を押さえつける。

 「なんで邪魔するんだ」

 大野はトオルを押さえつけながら叫んだ。

 トオルはさらに大声で叫び返す。

 「なんで鬼畜の言葉なんか使うんだ」

 と、その瞬間だった。大野の襟首がぐいっと後ろに引っ張られた。たまらず大野は後ろにひっくり返る。トオルは身体をごろごろと転がして数メートル横に逃げると一瞬にして立ち上がり、駆けだして行った。

 

 大野をトオルから引きはがしたのは、《伍長》だった。

 5つ上の先輩。戦中、富士の戦車学校に行った秀才。彼は戦後、占領軍の「キャンプ」と言われる基地に就職し、国民学校の英語の補助教師も務めていた。

 

 「よっちゃん、だいじょうぶか」

 《伍長》は大野のことを「よっちゃん」と呼んでいた。

 「はい。だいじょうぶです。でもアイツ、逃げやがった」

 「逃がしてやりな」

 「どうしてですか。ケンカ売ってきたのはアイツですよ」

 「知ってるよ。全部見てた」

 「じゃあ、なんで」

 「トオルはお父さんを空襲で亡くした」

 

 各務原飛行場に隣接していた川崎航空機。そういえばトオルのお父さんはそこに勤めていた。空襲があったのは去年の6月。たしかあのとき、100人以上が亡くなっている。トオルのお父さんはそのうちのひとりだったのか。

 

 「トオルはアメリカが大嫌いだ。憎んでいる」

 「でも、だからって……」

 「よっちゃん、わかってやれよ」

 

 《伍長》は、やさしい軍人だった。いや、元・軍人。《伍長》は戦争が終わるとすぐに大野に言ったのだ。「よっちゃん、英語は勉強したほうがいいよ」。

 

 《伍長》は英語ができた。陸軍の戦車学校にいたのに、英語ができた。戦中に英語を教えていたのは海軍だけである。しかも海軍兵学校などのエリート士官養成学校のみ。《伍長》は戦中、密かに英語を学んでいた。もちろん独学。その努力は戦後に生きた。その姿は、大野の憧れだった。

 

 大野の父親は、死を免れていた。トオルの父と同じ川崎航空機に勤めていたが、奇跡的に空襲から逃れることができたのだった。

 

 (もし、父ちゃんが空襲で死んでいたら……)

 大野は考えてみた。

 (今のように英語を勉強しようと思っただろうか。それとも親の仇だと思って敵視していたか)

 

 わからなかった。

 だけどひとつだけはっきりしていることがある。大野は家族を守るために英語を勉強しようと思った。続々と入ってくるアメリカ兵の自動小銃を見て、思った。こちら側に向けられた銃口を見て、思った。生きたい、と。生きて、生き抜いて家族を守る。母や妹を守る。そのための武器が、英語。そう思い定めたのである。

 

 トオルとの格闘で荒くなっていた息が整い始めた。頭のなかも冷静になりつつあった。

 トオルはトオル。オレは、オレ。

 それが結論だった。

 

 大野は《伍長》に礼を言うと、蹴り飛ばされた箸を探しに行こうとした。その後ろ姿に、《伍長》は声をかけた。

 「来月、ラジオで英語会話の放送が始まるらしいよ」

 

つづく

 


 

 

☆参考文献

 

『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal  Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS

『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店