校庭の砂は、白く輝いていた。
岐阜の国民学校。1946年1月。大野芳男は12歳になっていた。
真冬の太陽は、すこし斜めから世界を照らす。だが校庭に、校舎の影がのびることはなかった。校舎は空襲で焼け落ち、あとには急ごしらえのバラックが建つばかりだったのだ。壁と屋根があるだけの粗末な小屋。黒板なんか1枚もなかった。
それでも、日本は学校を再開した。
教科書をあたらしく作るには時間も予算もなかった。そしてなにより紙がなかった。そこでバラックの教室では、まず戦中の教科書に書かれた言葉に墨を塗る。そこから授業が始まった。
たとえば《大日本帝国》。
戦前から日本は、自国のことを大日本帝国と呼んだ。だから陸軍は、大日本帝国陸軍であり、海軍は大日本帝国海軍。それは明治時代からつづく呼称であった。
国民学校の生徒たちは墨を摺り、筆に含ませると教科書の文字を塗りつぶした。
《大日本帝国》という言葉を見つけると、《大》と《帝》を塗りつぶす。すると《●日本●国》となる。
先生は言った。
「日本は生まれ変わる。この墨塗りは進駐軍の指導である」
は?
大野は訝った。
しんちゅうぐん……?
(また大人たちは言葉を言い換えている。進駐軍じゃないだろ。占領軍だろ。日本は占領されているんだろ。アメリカが《進駐》してきたのではない。アメリカに《占領》されてるんだろ。それに《指導》だと。ちがうだろ。《命令》だろ。なぜ、それをごまかそうとする)
サイパンの《玉砕》もそうだった。ほんとうは《全滅》なのに、《玉砕》。
(まやかしだ。みんなまやかしだ)
大野は授業に興味を持てなかった。先生たちの話も、信用できなかった。だってつい半年前まで先生たちは言っていたのだ。
「一人百殺」。
敵を百人殺して、おまえも死ね。
それから「鬼畜米英」。
そう言っていた同じ口から、「アメリカさん」である。「シンチュウグン」である。「シドウ」である。
大野は休み時間になると弁当の箸を1本、右手に持って地面に字を書いた。ひとりで、字を書いた。ほんとうは紙に書きたいのだが、紙はなかった。かろうじて手に入るのは藁(わら)半紙。しかもそれはまさに藁の茎が縦横に走るゴツゴツした紙だった。
This is a pen.
大野は地面に書きながら、ぶつぶつと口のなかで読み上げる。
「ディス、イズ、ア、ペン」
「これは1本の筆です」
I am a boy.
「アイ、アム、ア、ボーイ」
「私はひとりの少年です」
他の生徒たちは校庭を走り回って遊んでいた。
校庭の真ん中には大きな銀杏の木が、堂々と屹立していた。あのグラマンの機銃掃射から大野の命を救った銀杏だった。
敗戦は、突然のことだった。
前年の8月15日、天皇陛下がラジオ放送で『ポツダム宣言』を受諾したことを告げたのだ。
ポツダム宣言はこう述べていた。
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日本が二度と戦争ができない国になるまで、連合国は日本を占領する。
日本の人民を欺き、世界征服に打って出るという過ちを犯した者たちの権力・勢力は永久に除去されなければならない。
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《占領》である。《除去》である。
事実、日本には《占領軍》がやってきた。完全武装の米兵が7〜8人が乗り込んだ大型のジープ。全員が自動小銃を外側に向けて構えている。いつでも撃てるように構えている。そんなジープが岐阜にもやってきた。何台も、何台もやってきた。際限なく、やってきた。
その光景を見た瞬間、大野は思ったのだった。
「英語、勉強しなきゃ」と。
大人たちは囁き合っていた。「日本はアメリカの属国になる」と。
“ゾッコク”って、なんだ。占領の次はゾッコク……。
大野は意味がわからなかった。そこで父に聞いてみる。
「アメリカに支配された国になるということだな」
(そんなの嫌だ)。思ったが、口には出さなかった。日本は負けたのだ。戦争に、負けたのだ。ポツダム宣言を受け入れたのだ。
大人たちは、その現実をなかなか受け入れられないでいた。だが子どもたちはちがった。いちはやく時代に適応した。大野はその先端を走っていた。
「英語、勉強しなきゃ」
学校では英語の授業も始まっていた。先生は、敗戦まで使うことが許されなかった言葉を、大野たち生徒に教えた。だが、先生も英語のことはよくわからない。
This is a pen.
わら半紙に大きく書いた英語を見せて、読み上げるのだ。
「ヂィス、イズ、ア、ペン」
完全なるカタカナ発音だった。だけど生徒たちは、それが英語だと信じた。
「これは1本の筆です」
先生が教える日本語訳を聞きながら、大野は思った。
(なんともわかりにくい言い方をするもんだなぁ。1本の筆です? 見りゃ1本だとわかるだろう。なのになぜ、わざわざ「1本の」というんだ)
わからなかった。わからなかったが、覚えようとした。校庭で書いていたのは、授業を復習するというより覚えるためだ。英語を覚える。頭に叩き込む。使えるようになる。しゃべれるようになる。そうしないと、これからは生き残れない。なにしろ日本はアメリカのゾッコクになるんだから。
そう思いながら、大野は次の英語を書き始めた。
My name is
ガッ。右手が蹴り上げられた。箸が飛んでいく。裸足の少年が、息を荒くしながら大野を見下ろしていた。
トオルだった。
同じ組のトオル。
あっけにとられていると、トオルは大野が書いた英語を足の裏でゴシゴシと消し始める。
「なにすんだよ」
大野はようやく口を開いた。
「うるせぇ」
トオルが吠えた。
大野はトオルの足首をつかもうとする。トオルはすばやい身のこなしで足首を逃がす。
ガシッ。
再びトオルは大野の手を蹴り上げた。
「英語なんて勉強すんな。鬼畜の言葉じゃねぇか」
立ち上がった大野の襟首を、トオルがつかまえてぐいぐいと押してきた。
大野はようやく逆襲に転じる。トオルの両手をつかみ、足払いをかける。
ドッ。
倒れたトオルの上に、大野は馬乗りになった。今度は大野がトオルの襟首を押さえつける。
「なんで邪魔するんだ」
大野はトオルを押さえつけながら叫んだ。
トオルはさらに大声で叫び返す。
「なんで鬼畜の言葉なんか使うんだ」
と、その瞬間だった。大野の襟首がぐいっと後ろに引っ張られた。たまらず大野は後ろにひっくり返る。トオルは身体をごろごろと転がして数メートル横に逃げると一瞬にして立ち上がり、駆けだして行った。
大野をトオルから引きはがしたのは、《伍長》だった。
5つ上の先輩。戦中、富士の戦車学校に行った秀才。彼は戦後、占領軍の「キャンプ」と言われる基地に就職し、国民学校の英語の補助教師も務めていた。
「よっちゃん、だいじょうぶか」
《伍長》は大野のことを「よっちゃん」と呼んでいた。
「はい。だいじょうぶです。でもアイツ、逃げやがった」
「逃がしてやりな」
「どうしてですか。ケンカ売ってきたのはアイツですよ」
「知ってるよ。全部見てた」
「じゃあ、なんで」
「トオルはお父さんを空襲で亡くした」
各務原飛行場に隣接していた川崎航空機。そういえばトオルのお父さんはそこに勤めていた。空襲があったのは去年の6月。たしかあのとき、100人以上が亡くなっている。トオルのお父さんはそのうちのひとりだったのか。
「トオルはアメリカが大嫌いだ。憎んでいる」
「でも、だからって……」
「よっちゃん、わかってやれよ」
《伍長》は、やさしい軍人だった。いや、元・軍人。《伍長》は戦争が終わるとすぐに大野に言ったのだ。「よっちゃん、英語は勉強したほうがいいよ」。
《伍長》は英語ができた。陸軍の戦車学校にいたのに、英語ができた。戦中に英語を教えていたのは海軍だけである。しかも海軍兵学校などのエリート士官養成学校のみ。《伍長》は戦中、密かに英語を学んでいた。もちろん独学。その努力は戦後に生きた。その姿は、大野の憧れだった。
大野の父親は、死を免れていた。トオルの父と同じ川崎航空機に勤めていたが、奇跡的に空襲から逃れることができたのだった。
(もし、父ちゃんが空襲で死んでいたら……)
大野は考えてみた。
(今のように英語を勉強しようと思っただろうか。それとも親の仇だと思って敵視していたか)
わからなかった。
だけどひとつだけはっきりしていることがある。大野は家族を守るために英語を勉強しようと思った。続々と入ってくるアメリカ兵の自動小銃を見て、思った。こちら側に向けられた銃口を見て、思った。生きたい、と。生きて、生き抜いて家族を守る。母や妹を守る。そのための武器が、英語。そう思い定めたのである。
トオルとの格闘で荒くなっていた息が整い始めた。頭のなかも冷静になりつつあった。
トオルはトオル。オレは、オレ。
それが結論だった。
大野は《伍長》に礼を言うと、蹴り飛ばされた箸を探しに行こうとした。その後ろ姿に、《伍長》は声をかけた。
「来月、ラジオで英語会話の放送が始まるらしいよ」
つづく
☆参考文献
『ヴィダル・サスーン自伝』髪書房
『Vidal Vidal Sassoon The Autobiography』PAN BOOKS
『ヴィダル・サスーン』(DVD) 角川書店