美容師小説

美容師小説

­-第2話-­【1945年 岐阜­1】 「英語、勉強しなきゃ」

【1945年 岐阜 ­ 1】

 

 

 

 大野芳男が英語を学ぼうと思い立ったのは、11歳のころ。国民学校初等科高学年(6年生)のときである。

 

 1945年(昭和20年)8月。日本は米国や英国を中心とした連合国との戦争に負けた。

 翌9月には大野が住んでいた岐阜にも、占領軍がやってきた。

 アメリカ陸軍第6軍第25師団第27連隊。将校・兵士あわせて約4100名。その先遣隊が、まず数十台の軍用ジープを連ねてやってきたのだ。

 

 大型のジープだった。運転席の後ろには、6人ほどの兵士たちが乗っていた。全員が完全武装。ヘルメットを着用して背嚢を背負い、手には自動小銃。銃口はすべて外へ向かい、いつでも撃てるように構えていた。

 兵たちの表情は硬く、みな緊張していた。

 

 いま日本人に攻撃されたら、どう反撃するか。

 

 ここはつい半月前までの敵地。そのど真ん中をジープで行くのだ。その光景を見た瞬間、大野の頭のなかに思いもよらない言葉が浮かんだ。

 

 英語、勉強しなきゃ。

 

 

 

 

 英語は敵国語だった。絶対に、話してはならないと教え込まれてきた。なにしろ戦時中、大野たちはアメリカやイギリスのことを「鬼畜米英」と呼んでいたのだ。憎き敵国。憎き敵兵。そいつらが話す言葉になど、近づくべからず。唾棄すべし。つい2週間ほど前まで、大野はそう信じ込んでいた。大野はだれよりも激しい軍国少年であった。

 

 

 日本がポツダム宣言を受け入れ、連合国に降伏したのは8月15日のことだった。その日まで、日本は軍人だけでなく、全国民が『戦争に参加』していた。

 11歳の大野もそうだった。学校は日本軍の管理下に置かれ、校長の上に陸軍大尉や中尉が君臨していた。当然、授業の内容は軍事一色。

 男も女もなかった。女子生徒は女子挺身隊と呼ばれ、薙刀や竹やりの訓練を積んでいた。一方、男子は高学年になると、軍事に関わるさまざまな訓練が行われた。同時に、徹底的な精神教育。つまり男女を問わず、生徒全員に軍国教育が施されていた。

 

 戦時中、学校には毎朝、兵士が行軍してきた。4列縦隊の一個分隊が、勇ましく軍歌を歌いながら行進してくるのだった。少年・大野芳男はその姿をいつも頼もしく見ていた。

 大野は微塵の疑いもなく思っていた。自分も軍人になって、お国のために命を捧げる。

 

 

 戦争は勝たねばならなかった。勝たないと、命がないと教わってきた。自分の命だけではない。父や母、妹たちの命も取られる。女性は全員、アメリカ兵に凌辱されたうえで殺される。そう叩き込まれて生きてきた。それはおぞましい恐怖として少年たちの頭に棲みついていた。だから自分は父や母、妹たちを守らなければならない。絶対に守らなくてはならない。お国を守るということは家族を守ること。そう思っていた。

 

 

 

 軍事教練は厳しかった。たとえば飛行機の操縦訓練。

 高学年の男子は全員で長良川の河川敷まで行進する。そこには飛行機が置かれていた。飛行機といってもプロペラはない。エンジンもない。木で組んだ骨組みと、布を張った翼。つまりはグライダー。それを「綱」を使って飛ばすのだ。

 通称「綱」。それは太いゴムの縄だった。ゴムひもを縄のように太く編み、2本の支柱にくくりつける。その間にグライダーを置き、「綱」を機体下部にあるフックに掛けて後方へと押す。つまりグライダーをゴムで飛ばして操縦訓練をするのだ。

 

 教練のほとんどはグライダーを押すこと。生徒たちは何度も何度も、押す。声を掛け合い、汗だくになりながら押す。懸命に押す。ぎりぎりまで押してゴムを引っ張り、推進力を得るのだ。

 それを繰り返していると、やがて順番が回ってきて操縦席に座る。操縦席は骨組みだけの丸裸である。目の前に操縦桿が2本。それで水平尾翼と垂直尾翼を操る。

 級友たちが機体を押す。限界までゴムを引っ張ると、全員が一斉に離れる。するとグライダーは河川敷を滑走し始める。すぐに水平尾翼の操縦桿を後方にゆっくりと引く。と、グライダーは音もなくふわりと宙に浮く。高度、わずかに1メートルと少し。そのまま距離にして50メートルほど滑空したら操縦桿をゆっくりと押す。するとグライダーは降下して着陸するのだった。

 

 それだけだった。ほんの十数秒の操縦体験。だが、少年たちの頭のなかで躍っていたのは戦闘機だった。たとえば海軍の零式艦上戦闘機。通称、ゼロ戦。グライダーが滑走しているとき。機体が浮いている間。頭のなかにはゼロ戦に乗った自分が大空を舞い、敵機を撃墜するイメージが駆け巡るのだ。

 

 撃墜だけではなかった。海上の敵艦を見つけ、急降下するイメージ。爆撃ではない。そのまま体当たりする攻撃。神風特別攻撃隊。いわゆる「特攻」の情報と精神はすでに、11歳の少年たちにも叩き込まれていた。

 

つづく