手荒れで美容室をやめ、ハワイのウエディング業界でトップに! 〜逆境をチャンスに変える生き方〜

会社を辞めようと思った矢先、ハワイで活躍するチャンスが到来!

 

 

ウエディングの仕事を続けて5年ほどたったとき、独立しようと退職を考え、ウエディング施設もあり、友人も多く住む湘南へ引っ越しの準備をしていました。まだ日本ではウェディングのヘアメイク一本だけでは食べていけないと思い、休日に焙煎所でアルバイトをして、バリスタの修行も。職人的な仕事に興味があって、いろいろ夢を描いていました(笑)。そして住む家を決めて契約の前日、「今度新しくハワイにオープンしたブライダル施設で、現地のヘアメイクさんの教育係をしてもらえないか」と会社から連絡が入ったんです。

 

独立する意思はすでに上司に伝えてあったのですが、社員が1000人近くいるなかで、そんな自分に声をかけていただけたのは、本当にありがたいことだと思いました。これは、自分の世界を広げるチャンスかもしれないと思い、家の契約をとりやめ、1週間考えてハワイに行く決意をしました。

 

親や先輩、同期にも相談しました。そのとき父からは「自分の軸をしっかりもってさえいれば、大きな流れに身をまかせ、ゆだねてみてもいいのではないか」とアドバイスをもらい、それは今でも人生の指針になっています。

 

一番大事な「美容の仕事をする」という軸さえ曲げなければ、周囲の環境に応じて柔軟に判断することも、強さの一つだと思いました。そうすれば自分で予想する以上の経験ができるはずです。「ニューヨークで美容師をしたい」という、20歳のときの夢もよみがえってきて、同じアメリカのビザを取るなら、ハワイから入ってみてもいいかもしれないと思いました。とにかく、行って何ができるかわからないけれど、「おもしろそうだな」という感覚を信じてハワイへ出発しました。

 

ハワイで指名数ナンバー1のヘアメイクに!

 

 

そうして26〜30歳の4年半、ハワイでウエディングのヘアメイクの仕事と、現地スタッフに流行のヘアスタイルのつくり方や、着崩れしないドレスの着せ方、接客の基本などの教育をする仕事をしました。

 

私がハワイに行った当時は、日本のウエディング業界では、お客さまがヘアメイクアップアーティストを指名するというスタイルはまだなかったのですが、ハワイにはすでにそうしたやり方があり、社内でも指名制度を採用していました。

 

私もお客さまに自分の仕事をアプローチしようと、休日は作品撮りをしてSNSで発信しました。当時、SNSで作品を発信している人はあまりいなくて、それが若い新婦さんに響いたようで指名がかなり増えました。

 

 

ウエディングの撮影は、いつもだいたい同じ場所で、似ているトレンドのドレス、髪型も流行のスタイルというルーティーンでしたが、「もっとおもしろいことができるのでは?」と思いました。ドレスを着てビーチで写真を撮るだけではなく、ヘアメイクももっと遊んで、「ドレスも動きやすいように私服みたいな感じのものでもいいんじゃない?」とか「ここで撮影したら、かっこいい!」などと、カメラマンと話し合いながら、オリジナリティを出して新しい試みをたくさんしました。

 

そうして少しずつ、ハワイで活動しているウエディングヘアメイクの「ひとみ」と認知してもらえるようになり、モチベーションもアップしていきました。私の活動を見て、ハワイでウエディングヘアメイクをやりたいという人も増え、ハワイのウエディングヘアメイクを盛り上げることができたという実感もありましたね。そして、「この土地ではやりきった!」と言えるほどいい仕事を残すことができたと思っています。

 

>フリーランスという新たな道を歩みはじめて

 

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