31歳で東京へ。人生は一度きりだから、やりたいことをやる!
31歳で福岡から上京し、顧客ゼロから銀座でリスタートした倉谷寛子さん。現在は多くの顧客を抱え、倉谷さんにカットしてもらうといいことが起きると口込みが広がり、“幸運を呼ぶ美容師”(!?)ともいわれています。東京進出のきっかけや年齢を重ねたからこそできること、自分らしく働き続けるためのコツなど、盛りだくさんにおうかがいしました。
師匠から学んだ究極の接客術とセンス
美容師になりたいと思いはじめたのは小学生のころです。その頃から髪質が悪くて悩んでいたのですが、高校生のときにはじめて訪れた福岡・天神の美容院で、髪質を生かしたショートにしてもらって、それが衝撃的で。「えー!こんなにかわいくできるんだ!」と思って、とてもうれしかったですね。
そのときカットしてくれたのが、現在も親しくさせていただいている私の師匠です。師匠に出会い、「こんな美容師になりたい」と目標が明確になりました。その後、美容専門学校を卒業し、師匠のもとで5年間働きました。この出会いが、私の美容師としての在り方を決めました。
師匠はとてもクリエイティブで、たとえば15年前につくったスタイルでも、今も通用するくらいおしゃれです。技術面だけではなく、人間的にもすごい方。誰にでも家族のようにあたたかく接し、かゆいところに手が届く接客で、学生だった子が就職して、結婚して、子どもを生んでも、ずっと一生つきあっていきたいと思える美容師です。
当時アシスタントだった私に、自分のお客さんのカウンセリングや仕上げまでまかせてくれました。普通、スタイリストは他の人に顧客のカウンセリングをさせることはありません。私を信頼し、育てるためにやってくださったことだと思いますが、本当に勉強になりましたね。いかにお客さまのご要望をくみ取りながら似合うスタイルをつくっていくかの勘は、そのとき培ったものが大きいと思います。
一度どん底に落ちからこそ、思い切れた
師匠のもとで5年間働いた期間を含め、天神で10年働き、28歳のときに婚約をして美容師をいったんやめました。いわゆる寿退社です。サロン内では中堅になっていて、自分の力を高めなければいけないと同時に、後輩の教育もしなければならない時期でした。毎日が忙し過ぎて、普通の女の子らしい生活がしたいと思っていたので、結婚を機に自分の時間をもてるというので、幸せを感じていました。
でもその後、突然破談になって実家に戻ることに……。仕事もやめてしまったし、結婚もなくなった。しばらくは精神的にどん底でした。生活のために働かなければならないから、もう「普通の女の子みたいな暮らしがしたい」なんて迷いもありません。そのとき、どうせ一からスタートするなら、昔から憧れだった東京に出ようと思い立ちました。とりあえず地元の美容室で働きはじめ、1年後には100万円の資金もたまったので、働き先も住む場所も決めないままに東京へ行きました。
勢いで出てきたのはいいけれど、中途半端な年齢だし、東京では顧客ゼロの状態。それでも通っていたサロンの人と仲良くなって「うちにくれば」と声をかけてもらったこともありました。でも、なんとなくぴんとこなかったんです。そうこうしているうちに師匠の知人でもあったAina(銀座)のオーナーと偶然出会い、委託で働かせていただくことになりました。
はじめは顧客がないので大変でしたね。今はInstagramなどのツールがたくさんありますが、当時はお店のブログくらいしかなくて、必死にアピールしました。ブログを見る方は、たいてい経験値で美容師を選びます。Ainaの中では一番年上だったので、それで選んでくださる方も多く、少しずつ顧客を増やしていくことができました。
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