【銀座発・吉田ケン】サロンオーナー歴32年。58歳にしてマンツーマンサロンで再出発したドラマチックな美容人生! 原点に立ち戻って挑む、新たな挑戦とは

 

育てても去っていく教育の難しさ。理想の実現は厳しかった

 

 

美容師という仕事は”器”という意味の「容」があるように、お客さまの器のすべてを美しくする仕事だと思うんですね。髪だけを綺麗にするのではなく、気持ちや明日からのモチベーション、行動まですべてが綺麗になるように働きかけなければならない。そのためにはお客さまが来店されたときの状態を観察して、表情や会話から気持ちを察知し、適切な言葉がけをしたり、繊細なケアで気持ちよくお帰りいただかなければ本当の美容師ではないと僕は考えているんです。

 

一流の店を作るという目的で『EGO』を作ったわけですから、お客さまから見ても一流だと評価されるように、カットやカラーなどの技術力はもちろんのこと、接客においても最高のサービスを提供できるスタッフが必要でした。僕と同じ熱量で同じ方向を向いているスタッフを育てるために、単なる技術教育だけでなく、おもてなしの心や真のサービスについて学ばせる特別な教育を信条としてきたんです。ですが、これには膨大なエネルギーが必要で、大勢のスタッフに同時に教えるには限界があったのも確かです。

 

 

そんな中で、稀に見る熱量の高いスタッフが入社したんです。僕の期待が高まるあまり、一人にだけ英才教育を始めてしまって。僕は「平等」と「公平」は全く違うものだと思っています。 頑張っても頑張らなくても同じものを与えられるのが「平等」。 頑張ってる人にはたくさん。頑張らない人には少しが「公平」。僕の教育は「公平」を優先していきたいし、世間が何と言おうと今でも正しいと信じています。 しかし、それが当時のEGOの風土には合わなかった。それによって社内に不和が芽生えて、人間関係がガタついてきたんです。数字にも顕著に現れて、最終的にはM&Aで企業に買収されることを選ばざるをえなくなりました。僕は、そのタイミングでオーナーから雇われ社長になったわけです。自分が作った会社を第三者にゆだねるのは本望ではなかったですが、生き残るための苦渋の決断でしたね。

 

親会社ができて、しばらくは順調にやっていたんですが、時間が経つにつれてめざす方向性のズレが顕著になってきて…。一流のサロンとして作り上げてきた店でしたが、そのコンセプトも経営の足かせとなり、最終的には僕がその状況を見ていられなくなって、2020年末に自ら離れることにしたんです。

 

 

>シェアサロンで気づいた、自由な働き方の心地よさと可能性

 

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