【銀座発・吉田ケン】サロンオーナー歴32年。58歳にしてマンツーマンサロンで再出発したドラマチックな美容人生! 原点に立ち戻って挑む、新たな挑戦とは
銀座『EGO(エゴ)』のプレイングオーナーとして、美容業界を牽引してきた吉田ケンさん。しかし、諸事情により2020年末にお店を手放すことに…。現在は銀座のサロン『una(ウナ)』の総合プロデューサーとしてサロンワークをしながら、美容室のコンサルティング業や講師活動など幅広く活躍されています。時代の変化と共にめまぐるしく変わっていく美容業界と教育事情に悩み抜いた吉田さんは、どんな風に生き抜き、どのような選択をされてきたのでしょうか。現在注力している仕事や新たに仕掛ける美容ビジネスなどについても、率直に語ってくれました。
全盛期も衰退期も経験。全てを賭けた『EGO』だったけど…
32年育てあげたサロン『EGO』を自ら離れたのは、2020年12月末のことです。当時SNSでお知らせをしましたが、周囲はさぞかし驚いたことでしょう。自分で作った店を離れるなんて、何かよほどのことがあったと思うじゃないですか。親しい人ほど連絡がこなくて、しばらくして会ったときに「良かった、元気そうで」なんて言われたのを覚えています。店を完全に手放すという決断を下すまでは、語り尽くせないほどいろいろな葛藤がありました。
僕はもともと有名店から1988年に独立して、東京・北千住の小さなお店からスタートしました。そこから3店舗に広げたんですが、一流ホテルのようなラグジュアリーサロンを作りたくて、2005年に銀座に『EGO』を出店しました。40坪9席というスペースに全スタッフを集約して、新しい土地でいちから始めたんです。顧客さまは変わらず来てくださいましたし、経営は順調でした。数年で手狭になり、今度は70坪の2店舗目を出店。そこから半年後に集客サイトで仕掛けた策が大当たりして、売上が400%伸びました。両店舗が繁盛し、あの頃はまさにEGOの黄金時代でしたね。
その数年後、ひょんなことから1店舗目で人間関係のもめごとが発端となり、売上のあるスタッフが数人を引き連れて抜けてしまったんですね。その大きな穴をなかなか埋めることができず、結果的にその店舗は売却に追い込まれました。それが2017年頃のことです。2店舗目に集約したことで一旦は経営面の落ち着きを取り戻したんですが、そこから業界の構造が大きく変化し始めて、労働環境や雇用形態、コンプライアンスなど従来のやり方では通用しなくなってきました。もちろん僕もアップデートを強いられ、若手の技術教育を平日の営業時間内に行って1年半でデビューできる仕組みを作ったり、スタイリストを業務委託に切り替えて手取り額を増やすなど、さまざまなことに取り組みました。
しかしながら、今度はその変革に違和感や不信感をもつスタッフが出てきて、少しずつスタッフが辞めていきました。そうなると残っているスタッフのモチベーションも落ちてきますし、翌年には売上が半減。僕自身はずっと教育に携わってきたので得意分野だと信じていたんですが、その頃にはすっかり心が疲弊してしまい、自信もなくなりかけてしまって。時間とお金をかけて人を育てても、デビューして数年経つとお店を離れてしまうという経験を何度か繰り返し、教育に希望を見いだせなくなっていました。