「黄綬褒章」受賞! 70歳を超えた今でも現場に立つ。赤上喜久子さんの「長く活躍できる美容師」になるための秘訣
茨城日立市でWOMANをオープンするも10年間は経営危機の連続だった
-美容師としてキャリアを積んだのち、ご主人の転勤を機に茨城県の日立市に住みはじめた赤上さん。そして昭和61年に市内に「WOMAN」をオープンされたそうですね。サロンを開業されてから30年の間に、経営の危機はありましたか?
もちろん! それはもう大変でしたよ。最初の10年は経営危機の連続。何しろ自分が生まれ育った土地ではなく、主人の転勤で移り住んだ場所でしたから、お客さまがゼロからのスタート。それに、WOMANをオープンする前は美容学校の講師をしていたので、サロンワークをする上で不可欠な知識である“最新のトレンド”を知らなかったんです。
-マイナスの状況からのスタートだったんですね。
そうなんです。でも一番の課題は「スタッフの質」でした。お客さまに愛されるサロンに育てあげるためには人材が必要になるんですが、採用する際にいいスタッフの見極めがわからなかった。中途採用の美容師は、これまでに勤めていた美容室のやり方を引きずっていることも多く、うちの営業理念を共有することが難しくて…。
-その課題をどのように克服されたんですか?
スタッフに営業理念をしつこく言い続けました(笑)。美容師を育てる学校で指導を担当するようになったことも、いい転機になりましたね。無償で指導をしていたんですが、そのおかげでしっかりとした技術と意欲を持った子を、学校から紹介してもらえるようになったんです。その流れができてからスタッフの質が上がり、なんとか危機を脱することができました。
講習中の赤上さん(右)
-苦労を乗り越えて、今では3店舗に規模を拡大されていますよね。順調な経営を続けられる秘訣は何でしょうか?
皮算用をしないこと。「取らぬ狸の皮算用」って言葉があるじゃないですか。あれです。手に入るかどうかわからない不確かなものに期待して策を練ったりせずに、お客さまの居心地のよさをとことん追い求めること。そしてお客さまが増えたところで、お店の規模を拡張。ちゃんと足元を見て経営することが大切です。あとは親しみやすい接客を徹底しました。それが売上拡大につながったと思っています。
-赤上さんはお子さんがいらっしゃいますが、子育てとの両立はいかがでしたか?
両立は難しかったですね。私は自分の店を守るのに精一杯で、夫と子どもには迷惑をかけてしまいました。とくに子どもには…。ありがたいことに人並みに育ってくれて、子どもには感謝の気持ちしかありません。