自らをアイコンにした“女っぽレイヤー”が大人気! 杏樹さんのステップアップ術
シェアサロン「SALOWIN渋谷JouLe(サロウィンシブヤジュール)」(東京都渋谷区)で、フリーランスのスタイリストとして活躍している杏樹さん。実力派プレイヤーの元で徹底的にブリーチを習得した経験を引っさげ、1年前に独立してからは体力・気力に余裕ができ、公私ともに充実しているといいます。自身をアイコンにする“女っぽレイヤー”で大人気の杏樹さんに、これまでの経験やフリーランスとして独立できた理由などについてうかがいました。
憧れのスタイリストにアシスタントにしてくれと直談判!!
専門学校卒業後は、銀座にある美容室に就職しました。しかし、そのサロンのお客さまは年齢層が高く、学べる技術が限られていました。本来自分がやりたかったカラーやブリーチの技術などは皆無。もっと色々な技術を学びたくて1年ほどで転職を決意しました。
その頃Instagramで桑原大貴さん(現C・crew副代表)が物凄くカッコいいハイトーンスタイルを発信していて、この人について学びたいという思いが募り、本人に直談判したんです。すると、ちょうどスタッフを募集しているとのことで、面接をして入社できることになり、桑原さんのアシスタントになることも叶いました。
それまではブローとデジタルパーマくらいしかやったことがなく、ブリーチの経験もなかったのですが、そこから、いきなり階段を5段とびくらいで駆け上がるような感覚で、新しい技術を吸収していくことに。転職してからは、とにかく毎日必死に学びましたね。
究極OJTで成長! “見て覚えて実践”でブリーチマスターに
桑原さんは基本的には「見て覚えなさい」という職人タイプ。とにかく営業中に施術の様子をしっかり見て、営業後に実践して技術を身につけました。
最初はなかなかうまくいかず、なぜ他の人と同じようにできないんだろうと落ち込み、悔しくて泣きながら帰る日もありました。それでもがんばって半年ほどたったとき、メインアシスタントだった先輩が退職し、私がメインアシスタントにつくことに。ブリーチも、すべて担当することになりました。ブリーチは、アシスタントになった当初は苦手だったのですが、とにかく桑原さんのようなスタイルを作りたい一心で猛特訓を重ねて技術を習得しました。
あるとき、桑原さんから「(ブリーチ)ベースをつくるのは、おれよりうまいよ」と言ってもらえたときは、本当にうれしかったですね。それまではつらいこともあったけれど、続けてきてよかったと思いました。
一時期、桑原さんの職人気質にくじけてしまい、別のスタイリストについたこともありました。離れてみて桑原さんは私の気質に合わせて自由にやらせてくれていたんだと改めて気づき、再び戻ろうと思ったんです。そんな私を快く受け入れ、指導してくださったことには、本当に感謝しています。
20代後半で考える将来の美容師像
スタイリストになってから1年ほどで独立し、今、ちょうど丸2年経ったところです。独立を決めた時期は、Instagramの反響がよく、顧客数も安定してきたときで、周囲もフリーランスになる人が多かったタイミングでした。
なぜフリーランスを選択したかというと、20代後半にもなり、将来なりたい美容師像を思い浮かべたときに、このままがむしゃらにやり続けるのが自分に合ってるのかなと考えたんです。悩んだ結果、数字を追うのも大切ですが、お客さまと1対1でじっくり向き合える働き方をしたいなと。
実際にフリーになってよかったことは、お客さまと1対1でじっくり向き合えるようになったことに加え、時間的に余裕が持てるようになったことです。美容室に勤めていた頃は、必要な時間ではあったのですが、朝から晩までサロンにいることも多く体力的にもキツイこともありました。時間に余裕が持てると、体も気持ちもラクになります。私の場合は収入もアップして、趣味の時間を充実させられるようにもなりました。
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