OL志望の短大生が、2度もJHAグランプリに輝いたわけ

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卓越した表現力を持つ美容師を称える業界最高峰の賞 JHA(Japan Hairderssing Awards)。資生堂TOP HAIR & MAKEUP ARTISTの神宮司 芳子(じんぐうじよしこ)さんは、JHAで最優秀新人賞と3度の準グランプリ、そして2度のグランプリを獲得。輝かしい受賞歴を持つ彼女ですが、美容師になる前は一般企業のOLを志望していたというから驚きです。今回は、神宮司さんがどのようにして表現者として花開いたのか、その理由を探ってみました。

 


 

「美容師にはなりたくない…」 高校卒業後、短大に進学

 

私の母は美容師で、父は美容商材を扱うディーラーです。生まれたときから美容に囲まれて育ちました。お客さまに求められ、忙しく働く母に憧れる気持ちはありましたが、仕事の大変さを間近で見ていたので美容師になりたいとは思えなかったんです。

 

高校卒業後は短大へ進学。美容師になるつもりはありませんでしたが、「美容師の免許はあったほうがいい」という母親の勧めで通信教育で免許を取りました。私としては、卒業したら一般企業のOLとして、まったりと働くつもりでした。ところが、当時は超就職氷河期で、私はやむなく美容師に…。そこには夢や情熱はありませんでした。しかも、美容師になると決めてからも、短大の友達と会う時間がつくれるようなサロンで働きたいと思っていたんですよ。

 

 

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いろいろと探してもっとも好条件だったのが、青山にある個人店。日・月がお休みで、17時には帰れるという、とても珍しいサロンでした。そこでは大御所の先生が一人で施術していて、映画界、音楽界などの重鎮がお客さまとしてきていました。

 

早く帰れるし、お休みもあるし、満足して働いていたのですが、2年間で身についた技術は、シャンプーと白髪染めのみ…。そのことを知った父は激怒しました。父は私がいつか独立してお店を出すことを夢見ていたらです。私にとっては居心地のいいサロンでしたが、父に半ば無理矢理辞めさせられてしまいました。

 

二度の転職を経てようやく「やる気スイッチ」が入る

 

 

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2年間の遅れを取り戻すために、あえて忙しいサロンに転職しました。ところが入って1週間くらいで「辞めます」と伝えて、1カ月後には退社…。単価が安く、流れ作業でお客さまをこなすような仕事は、私にはできないと感じたことが理由です。

 

その次に入ったサロンには、練習会や技術試験がしっかりと用意されていました。技術を学び、試験に合格し、施術に入るという流れが確立されていて、それが私の「やる気スイッチ」を押したんです。練習も試験も楽しくて仕方がないし、お客さまに入れるのがうれしかった。早朝から深夜まで自ら進んで練習するようになりました。指名が少しずつ入るようになると、さらに喜びが膨らみました。

 

月日が経つにつれてお客さまも増え、いつしか独立してもやれると思えるように。ただし、独立前にクリエイションを深く学んでおきたいという気持ちから、資生堂のヘアメークスクール「SABFA」の門を叩きました。

 

そこで1年間学び、卒業後は独立するつもりだったのですが、担任の先生から「資生堂を受けなさい」と勧められたんです。父とサロンを出す約束があるのでずっとお断りしてたのですが、これもご縁だと思い「受けるだけ受けてみます」と。その後はお察しの通り、資生堂に入社して、今に至ります。

 

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資生堂入社後、たくさんの明確な目標を与えてくれる環境がそこにはありました。それが自分にはとても合っていたんです。たとえば、「『HAIR MODE』(女性モード社)さんのコンテストに出て、月間賞、年間賞をとり、デビューページをもらう」とか。とにかく目の前の目標にひとつひとつ全力で取り組むことで、NHDKヘアコンテスト全国大会のカット部門でグランプリや、JHAの最優秀新人賞、そして気づけばグランプリにたどり着いていました。

 

>産休明けのJHA準グランプリで目が潤む

 

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