元食品会社のOLが、生涯美容師を心に誓うまで
表参道の有名店「PHASE」で活躍する萩原 まゆみ(はぎわらまゆみ)さんは、食品会社で営業事務をしていた経験があり、また、美容師になってからは渡米経験があるという珍しい経歴の持ち主です。目標は「生涯美容師を貫くこと」という彼女に、これまでの軌跡をうかがいました。
「東京に出たい」その想いだけで上京
子供のころは父が苦手で、とにかく家を出たいと思っていました。中学2年のころには、もう東京に行くと決めていて、高校卒業後、東京は東日本橋の食品会社に就職。そこで営業事務の仕事をしていました。
ところが! 入社2年目に、その会社の営業部門が千葉に引っ越すことになって、私も千葉にいかないといけなくなっちゃったんです。「私、千葉にきたんじゃないぞ・・・」と思っているときに、友達の彼氏が「美容師は意外とお金がかからずになれるし、いいよ」って軽いノリで勧めてくれて。私も、「手に職」には興味があったので、じゃあやってみよっか、という感じで美容専門学校に入りました。
卒業前、就職活動で受けたサロンは2つだけ。一つ目はごく普通のサロン、それともう一つは専門学校の同級生が勧めてくれた有名店。今でも忘れられないのですが、最初に受けたサロンでは「キミはここで働く人じゃない」って、説得されたんですよね(笑)。そんな経緯があって、有名店に勤めることになったんです。
そこは、今表参道で展開している美容室ブランドを立ち上げた人たちがたくさん働いていたところで、とにかく忙しかったです。サロンワークが終わってクタクタになってからレッスンして、モデルハントして…。先輩も厳しくて、よく同期の子は泣かされていました。私も1年目、2年目は毎日のように辞めたいと思っていたけれど、絶対に涙は見せなかった。駅から家に歩いているとき、涙がとまらなかったことは、数えきれないくらいありましたけれど。
とりあえずニューヨークで暮らしてみたい
今思うとすごい環境でしたが、そこで働いているみんなは、夢を見ていたんです。ちょっといい暮らしをしたいとか、デッカくなりたいとか。そして、いい髪型を創りたいっていう共通の想いがありました。ポジティブで夢がある環境で、経験を積むことができてよかったと思います。
10年間働いて、今度はえいっと思い立ってニューヨークへ。なぜニューヨークに行ったのかというと、もともと憧れていた街でしたし、海外に住んでみたい、という夢を叶えたかったから。といっても、何かを成し遂げようと意気込んで行ったわけではありません。50代になってから「行っておけばよかった」と後悔したくないから、とにかく行ってみたという感じでした。
渡米したのが20代のころだったら、日本に帰ってこなかったかもしれないですが、しばらく暮らすうちに、自分がやりたいことは日本でもできると気づいて帰国。その後、ちょっとフラフラした時期もあったんですが、前のサロンの先輩から「お前、ちゃんとしたサロンに就職決めろ」って言われて、PHASEに入りました。
PHASEに入ってからは、撮影や講習の仕事がたくさんあって、つらいほどに仕事をしていました(笑)。朝から撮影して、夜まで働いていましたし、休みの日は講習で地方に行っていたりしたから、何週間も休みがないなんてこともしょっちゅうありました。
体が疲れすぎて、睡眠障害になってしまったことも…。いつも気持ちがギリギリだったから、スタッフにも辛く当たっていたかもしれず…申し訳なかったですね。反省はありますが、そのとき頑張ったから、今、ここにいられるのかなって思います。
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